1.新入部員の疑問
海南大付属バスケ部入部初日の日、新入部員は野心を滾らせた目で体育館に足を踏み入れる。
中学時代の栄光を胸に、この場所でもスタメンを勝ち取り先輩にも負けない活躍をしてやると意気込んでいる者は多かった。
「清田信長です!な……よ、よろしくお願いします!」
2・3年を前に1人1人自己紹介をする頃には、高校生とは思えない貫禄を見せる先輩達に萎縮してしまう者も多かったが。
「清田か……よし、次!」
その中でも圧倒的な存在感を出すのが、名簿を片手に中央に立つキャプテンである牧紳一。
憧れに近いような気持ちを抱いていた清田信長は、彼を前に言い淀んでしまったことがあった。
「(うおおおおNo.1ルーキーとしてスタメン勝ち取ってみせます!って言おうとしたのに躊躇っちまったああああああ!!!!!)」
悔しくて歯ぎしりをするも、まあ、そういういのは口外せず胸に秘めるのもいい男かもしれねえな……!!と考え直してにやりと笑う。
彼は緊張していた。
「以上です、監督。」
全員の自己紹介が終わると、牧は横に居た高頭監督に顔を向けた。
「ふむ……。海南バスケ部にようこそ、一年生諸君。監督の高頭だ。うちの練習は厳しいからな。覚悟するよーに。期待してるよ。」
扇子をぱたぱたと振りながら、穏やかな声で挨拶をする。
はい!!っと体育会系らしい大声で返事をし、1年が頭を下げたのを見ると、高頭は背を向けて体育館の隅にある椅子へと向かっていった。
「さっさと練習してえかもしれねえがもう少し我慢しろ。今から一枚紙を配る。練習と試合の際の簡単な注意事項だ。」
そんなものがあるのか、と思いながら配られた紙に目を通すと、なんのことはない、停学や謹慎処分になるような行為や、部活時間外の練習に関することが箇条書きで書かれていた。
「……ん?」
そして一番下に、マネージャーへの相談事は、部室横の部屋を使うこと、とあった。
「マネージャー…?」
いるのか……どの人だろう?と体育館を見渡すが、同じジャージを着た男だらけで選手と区別がつかない。
「何か質問がある奴はいるか?」
「あ、はーいはい!!」
牧の問いかけに手を上げる。
「清田か、なんだ?」
「このマネージャーへの相談ってところなんですが……。」
そう言うと、牧が眉根を寄せて明らかに不機嫌な顔をする。
「……えっ!?」
「何か早速相談があるのか?」
「い、いえ、ちょっと気になっただけです!大丈夫です!!」
ばっと勢いよく挙げてた手を下げる。
怒らせたかな、やばい、と思ったそのとき、体育館の戸がガラガラと開いた。
「わあああ遅れてごめんなさい!」
可愛らしく慌てた声に、部員全員が振り向く。
きちんとバッシュを履いておらず、片足の踵に指を突っ込んで履こうとしながらぴょんぴょんと飛びつつ監督のもとへ向かっていく。
その時ほぼ全員が同じことを考えていたのだが、誰も口に出すことはなかった。
「どうしたんだ、。」
「急な変更があって作り直してました!間に合うと思ったんですけどコピー機途中で調子悪くなっちゃって……!あれ?牧さんには連絡したんですけど。」
「おい牧!」
「あ、すみません、言うの忘れてました。」
「牧さん!!!???」
厳格な表情を見せていた牧がすっとぼけた声でそんなことをいうものなので、驚くマネージャーと一緒に1年生も驚きの表情を見せる。
彼女がマネージャーなのだろうというのはひと目で分かるのだが、体育会系どころか文系にも見える華奢で可愛らしい女子であったため、この厳しくて有名な海南大付属のバスケ部のマネージャーとしては不釣合いに見える。
そして男ならどうしても目線が向かってしまうものを彼女は持っていた。
「ま、まあいいや……。えっと自己紹介終わった?1年生のみなさん初めまして~。これ、予選までの大まかな練習と試合の予定表です!今から配りますね~。」
小走りで部員のもとに駆け寄り、最初に持っていた紙を牧に渡し、その後周囲の3年、2年に回してくれと束で配り始める。
「、なんで挨拶だけなんだ。お前も自己紹介しろ。」
「そうだった!すみません!マネージャーやらせてもらってます、2年のと申します。よろしくお願いします。何かわからないことがあったら気軽に聞いて下さい。」
ぺこりと頭を下げて、今度は1年生に紙を渡そうと近づいてくる。
清田の前に来て、にこりと微笑み、はい、後ろに回してね、と紙を渡す。
素直に可愛いと思えるその風貌に、緊張が一気に溶けたのを感じながら、紙を受け取る。
「、何が変わったんだ?」
「あああ牧さんそうなの!土日に体育館の点検が入る日があるので、それ追加で記入しました。」
「使えなくなるのか。」
「はい。外のコート使えるかなと思ったんですけど、化学部がその周辺を先約入れてるらしくって。外での大規模実験だかなんだか知らないけどよりによって……!」
「休みにするしかねえのか?この日の練習は確認して後日連絡する。いいな?」
はい!と全員から元気な声が響く。
マネージャーも熱心で良い人だ……と言わんばかりの1年生のにこにこして照れたような表情に、神は後方で笑ってしまいそうになるのをこらえていた。
その後はすぐにウォームアップが始まり、ペアストレッチで1年で1人余った清田は神と組むことになった。
「信長、なかなかの勇者だね。」
「えっ、な、なんでですか!?」
「マネージャーがどんな人かわからなかったからかも知れないけど。」
「さっきの質問っスか!?だってあの紙の中、普通のことばっかなのにひとつだけ違和感あって……。」
マネージャーがあの人、と知ると色々考え至ることも出てきてしまう。
考えたくないし、自分はそんなこと絶対ない、と思っても気になる。
「あ、あの、なんか、相談したがる人って結構いるんスか?さんに……。」
牧は遠くにいるし、マネージャーはどこかへ行ってしまったし、神からは何でも聞いてくれという雰囲気があり口に出すも小声になってしまう。
「そうだね、俺も全部把握してるわけじゃないけど。」
「やっぱ練習がきつくて、ってやつですか……?」
「が優しく見えるから甘えて励ましてもらう奴もいるっぽいけどね。真面目にアドバイス貰いたいって奴ももちろんいるよ。基本去る者追わずだけど、そのへんのサポートしてくれるのは監督も牧さんも有り難がってるし。」
「へー……。」
「ただね、前にちょっとあってね。」
神が苦笑いするのを、もしや……と冷や汗をかきながら見つめる。
「、胸が大きいからねー。昨年事件があったんだよ。」
「神さん直球!!!!!!!」
可愛いから、といえばいいのにはっきりと言われて清田は顔を赤くする。
先程ぴょんぴょんした時も、走ってくるときも大きな胸が揺れる。
なんであんなに華奢なのに胸だけでかいんだ!と驚いてそして必死に目を逸した。
「でもそれ本人は気にしてるから、言わないであげてね。」
「言わないというか言えませんけど……。じ、事件が気になるんスが……。」
ピーっと笛が鳴る。
いつの間にか荷物を持って戻ってきていたマネージャーが鳴らしていた。
そして次に牧の声が響く。
「よし、次、フットワークだ!人数が多いな……サイドラインに並べ!」
「信長、後でね。」
「あ、は、はい!」
ちょっとどころかかなり気になってきてしまう清田だったが、初日は肝心、と集中しなおして、走り出した。
「1年生の自己紹介参加できなかったな~。どうでした監督?」
練習の様子を静かに見守る高頭の横で、が笛を咥えながら問いかける。
「根性がありそうな奴もいるが、どれだけ残るかわからんな。」
「ロッカー足りなくて写真部から借りてるの、再来月には返さないといけないんですけど。」
「ロッカーを増やす必要なさそうだがな。」
「ええ……。厳しい見解ですね監督……。」
「牧達3年のを新しくする、という名目なら増やしてもいいぞ。」
「ほんとですか!ありがとうございます!手配します!」
「ロッカー別に今のでも十分だぞ。」
「牧さんは後で今の会話の説明をするから黙っててください!!!!!!」
ダッシュから戻ってきて会話を聞いていた牧の返答はいまいち空気が読めていなかった。
怒られて若干ショックを受けた牧だったが、一人の選手が視界に入る。
「しかしすんごい速い子いますね~。あの子は?」
「清田だ。最初ガチガチだったが空気に慣れてきたみたいだな。」
「清田君。」
またすぐに順番になって、牧がサイドラインにスタンバイする。
「よし、あと10本、行ってくる。」
「行ってらっしゃい~。」
ひらひらと手を振って、今度は牧の背を見つめる。
その様子を今度は清田が視界に映し、牧さんとマネージャーさんは仲が良いんだなあと考えていた。
早く人間関係やこの雰囲気に慣れて溶け込みたい気持ちが強くなる。
「神さん!今日一緒に帰ってもいいですか?」
「ん?ああいいよ。ちょっと個人練習に残るけどいい?」
「付き合います!!」
さすがスタメンの神さん、練習量も半端じゃねえ!と感心して笑顔になる。
「多分マネージャーも残るけど。」
「えっ!」
「多分牧さんも残るけど。」
「ええっ!!!!」
じゃああんまり話は聞けないんじゃないかと肩を落とす信長だったが、神に肩をぽんと叩かれる。
ラストまで残るから覚悟してね、と言われて、元気に返事を返した。
肩で息をし、前かがみになり床にヘタリと座る。
「さすが……常勝海南……。」
初日の練習を終え、新入部員は疲れ果てていた。
「かっかっかっ!へばったか早いな!」
「うるせー清田……元気だなお前は……。」
「たりめーよ!」
滝のように流れる汗を拭きながら、練習終わりの体育館を見つめる。
監督と牧、がなにかを話していた。
「あんだけ一緒に頑張ってたらそりゃあ仲良くなるか。」
並んでると、親子に見えなくもない、と一瞬思ったが首を振ってかき消す。
「信長、15分後から俺シュート練。」
「分かりました!」
神に声をかけられてニカっと笑う。
「よーしよし!ぜってえスタメン取ってみせんぞ!練習練習ー!!!!」
乱れていたヘアバンドを着け直し、ボールを取りに走り出した。
フロアでは話し終えた3人が解散し、帰る監督に牧とが頭を下げていた。
「あれっ清田君も残るの?」
「ああ!俺の名前覚えて下さってたんですか!?」
頭を上げたに声をかけられ、勢いよく振り向く。
「牧さんに教えてもらった!一年生の名前は徐々に覚えていきたいと思いますごめんなさい今日遅くなって……。」
「い、いえいえ!俺もまだ覚えてませんし!俺も徐々に覚えます!」
「一緒だ!」
「一緒です!!」
イエーイとハイタッチをし、謎のコミュニケーション。
後ろに居た牧がその意味不明さにぷっと吹き出した。
「お二人も残るんスか!?」
「私、備品の在庫数えないといけないからちょっとだけ。」
「が残るならパス出してもらおうかと思ったがそうか……。手伝うか?」
「大丈夫ですよ!30分もかからないと思うんで、パス出しましょか?」
「帰るの遅くなるだろう。軽く走ってるから終わったら声かけろよ。送る。」
「い、いいんですか牧さん!!あ、ありがとうございます!!」
本当に仲良しだな……付き合ってるんじゃなかろうな……と思ったが清田は何も言えなかった。
「いやもう最初は全然だったよ。牧さんも1年からスタメンって言っても先輩後輩関係はあって周囲に気を遣ったりもしてたし、もやることだけやって帰るマネージャーだったし。全然話したりしてなかった。昨年の6月くらいまで。」
「え、そ、そうなんですか……。」
牧とは先に帰り、神と二人っきりになったところで質問し始めた。
清田はリバウンド練習をしようとゴール下にいたのだが、神が全然外さないからパスをしたり、自分でもドリブルシュートをしたり自由に練習していた。
「てゆーか俺、よく海南大付属の試合見に行ってたのに、女子マネいるとか、思い出すとそういやいたかな~くらいでしたよ!」
「試合中は黙ってるからね。試合の時は見てみるといいよ。顔怖いよ。」
「こ、怖い!?想像できない……。でも海南大付属のバスケ部マネなんて、やっぱそれやりたくてここ入ったとか……。」
「きっかけも、昨年俺と同じクラスだったからちょっと興味持って見に来たら感動してっていう軽い理由だよ。」
「え、ま、まじっすか……。」
神のシュートフォームが乱れ、それを見逃さずに清田が駆け込む。
勢いよくジャンプし、リングの縁に弾かれたボールを取ってアリウープを決めた。
「おお、すごいな信長。」
「へへ!このくらい出来ますって!」
リングにぶら下がったまま、神にピースをする。
「牧さんとあんな仲良いのはきっかけがなにかあったんですか?」
着地すると、隅に置いておいたペットボトルに駆け寄って水分補給をする。
神も1本、今度は綺麗にシュートを決めると、足元に置いておいたタオルを拾い上げて清田へ近づいた。
「一人ね、よくあるパターンではあるんだけど、中学で有名だったらしいけど海南に来て練習についていくのが辛くなった奴がいてね。」
「はい。」
「俺たちはもう辞めるのは時間の問題だって分かったから何もしなかったんだ。何も言わなかった。仲良い奴には相談してたらしいんだけど。」
「はあ……。」
神が座り込んで、壁にもたれ掛かった。 清田も隣に座る。
「で、練習行こうかどうしようかってとこまできちゃって、うろうろしてたところにたまたまが通りかかって声をかけたんだよ。」
「そ、それで?」
「その時のキャプテンにはから連絡来たんだ。遅れるって。」
清田は非常にどきどきしていた。 その先を聞きたいような、聞きたくないような。
「で、体育館近くの水飲み場あるだろ?その近くの階段に座って悩み聞いてたらしいんだけど。」
「は、はい。」
「揉んだんだよそいつ。」
「…………。」
清田の動きが止まる。
「胸揉んだんだよ、の。」
「……に、二度も言わなくていいです!!!」
反応に困ってしまうが、顔は自然に赤くなる。
そんなことがあったなら、あの用紙の注意に軽く質問しようとしたことが申し訳なく思える。
「たまたま牧さんが水飲みに行ってて、は悲鳴を上げれたからすぐに駆けつけられたらしいけど。ショックだよね……真剣に、は今のそいつの改善点とか必死に考えて話して、まだやれることいっぱいあるよって話をしてたのにそいつは胸見てたとか。」
「さ、さ、さい、最っっっ低じゃねーっすか!!!!!!そいつ辞めたんですよね!?」
「もちろん辞めたよ。そいつは最後に、童顔巨乳は卑怯っすよ……って言って去っていった。」
「何が卑怯だ!!!ゆ、許せねええええ!!!!」
バンバンと床を叩いて怒る清田に、こいつにしてよかった、と神は思った。
広めるような話ではない。
けれど、学年に1人はこの話を知り、少し意識できる人間を置こう、という話を牧としていたのだった。
「なるほど、そこで助けたから牧さんとさんは近づいたと……。」
「具体的に言うと、その次の日かな。は練習休んだんだけど、牧さんも休んだんだ。」
「え!?牧さんも?」
「それでなんか話をしたらしい。何を言ったか知らないけど、その次の日からはちょっとずつ変わったんだよね。今じゃびっくりするくらい色々勉強して俺たちのこと支えてくれてる。」
「そうなんですか……。牧さんが元気出せって言ったんですかね……。」
「……げ、元気出せくらいじゃそんな風にはならないと思うけど。そういうことがあって、ちゃんと机と椅子がある部屋で、距離を離せるスペースで相談できるように注意事項に加えたんだ。あの部屋鍵とか無いしね。」
「そうだったんですね。」
「信長。」
急に名前を呼ばれて振り向くと、神は人差し指を口元に添えていた。
「内緒ね。」
「もちろん、誰にも言わないし、さんの、その、そういう話、1年でしてる奴がいたら殴ります!!」
「はは、殴るのはちょっとね。注意してくれたら嬉しいよ。はあれ、小さい頃太ってた名残でダイエットしてもなかなか減らないって嘆いてるんだ。コンプレックスなんだよ。」
「そうなんですか……。」
「ちなみに今日のあれ、あれでも潰してるんだよ。」
「えっ……?」
一口、スポーツドリンクを口にして、神は立ち上がった。
「よし、あと30本。」
「りょ、りょーかいっす!!」
非常に気になる言葉で話題を締めた神に動揺しつつも、清田も飛び上がり、ボールを拾って左手でドリブルを始めた。
確かにでかいといってもクラスの女子の平均よりちょっと大きいくらいだと思ったが、それでも潰していたのかじゃあ潰してなかったら……?昨年の事件の時は潰してなかったのか……?と考え始めて顔を赤らめる。
(というか神さんなんでそんな詳しいんですか……。)
神が打ったシュートが綺麗にリングを通ると、ゴール下で清田は右手でキャッチし、神にバウンドパスをする。
「神さんラストー!」
「おう。」
最後の一本はとても綺麗な弧を描いてリングに吸い込まれる。
「すげー神さん!!!」
そのシュートに興奮した声を上げ、左手でドリブルしていたボールを右手に持ち替え、走り出す。
神の横まで来て、同じくアウトサイドシュートをするが、リングを掠らずボールは壁に当たってしまった。
「あっ……!」
「苦手なの?」
今日の話題は新入部員の話ばかりだった。
男女が一緒に帰る、というシチュエーションで色気がなさすぎるとも思ったが、楽しいことに変わりはない。
「じゃあ、明日の練習はお前にも手伝ってもらうな。」
「任せてください!といっても大したことは出来ないんですけど。」
「いや、助かってるよ。」
牧の顔を見上げると、穏やかな表情で優しい視線をに向けていた。
周囲が暗くて助かった。
顔が絶対赤い。
もうすぐ家に着くというところで、はぺこりと頭を下げた。
「送ってくださって、ありがとうございます。」
「。」
ぽん、と、牧の手がの頭に乗せられた。
「!」
「何か、気になることや悩みがあったらいつでも話せよ。俺でよければ聞く。」
「……ま、牧さん……。」
「じゃあな。おやすみ。」
「お、おやすみなさい……。」
玄関先で牧を見送ってから、家に入った。
牧は普段からスキンシップの多い人間だ。
この程度で心臓を高鳴らせてたら身がもたない。
「いつからこんなに牧さんに惚れてしまったのか……。」
しゃがみこんで叫びたくなるのをこらえながら、自分の部屋にふらふらを向かっていった。
牧は牧で考え事をしていた。
練習のこと、部員のこと、がマネージャーの仕事を楽しく行えるような環境づくりができないかということも。
「……そうだ。」
名案が浮かんだとばかりにニヤリと笑って、帰路を急いだ。