7.1年前のある日のこと



焼肉屋に戻ると、店の外にいても声が聞こえてくるくらいわいわいと賑やかだった。
沢北とが入ると、山王メンバーと談笑していた牧がすぐに気付いてこちらを向く。
「おう、戻ったか、。」
「沢北さんと散歩してましたー。」
「ああ、河田に聞いたよ。」
さんと散歩楽しかったです!」
「……良かったな。」

沢北がご機嫌なので牧は複雑な心境になる。
沢北そんな顔するな昨年の手紙の件申し訳なくなるじゃねぇかという気持ちと、ウチのマネージャーに馴れ馴れしくすんじゃねえという気持ちだった。

「ところでこれ何ですか。」
沢北が自分の皿を指差す。
焦げた肉が山盛りになっていた。
「河田が下手だったんだピョン。」
「先輩のミスは後輩がカバーしてくれるはずだ期待してるぞ。」
「食えと!!??」
、俺たちはシャーベット食おう。」
「わーい食べます!」
「か、海南に入りたい……。」
「んだとぉ沢北ぁ!!」

泣きそうな顔をしながら焦げた肉の小さいものを箸で掴んで口元に持っていく。
はむ、と口に含むが、やっぱり無理です!!と出した。
あ……ちゃんと食ってみやがったこいつ……と深津と河田が思っているとは想像もできず。

「沢北さん本当に食べたの!?」
「味みただけです……。河田さんに苛められた可哀想な肉……。」
「沢北さん素直ですね!?お口直しにシャーベット食べますか?」
「いいんですか!?あーん!」
「あーん!?」
「ああ!!!」
三方向からおしぼりが飛んできて沢北の顔に当たる。

「牧さんまで!!!!」
「俺は当然阻止するに決まってるだろう。」

牧さんすごくお父さん……と思ったが口には出さなかった。



時間も遅くなり、堂本監督の挨拶でお開きになった。
店を出たところで、牧とは改めて堂本監督にお礼を言う。
そして振り返ると、深津、河田、沢北が待っててくれたのかこちらを見て立っていた。

「今日はありがとな。」
牧の声には優しく、感謝の気持ちが溢れて出たようなものだった。

「インターハイで会うピョン。」
「あぁ。」

牧と深津が握手を交わす。
その横で沢北とも握手をした。

「沢北さん、お誘い本当にありがとう。」
「来てくれてありがとう、さん。インターハイで。」
「はい!!」
さん……。」

名残惜しそうな顔をして、沢北がなかなか手を離さない。
見かねた河田が沢北にチョップする。
合宿所へ帰る山王メンバーを見送って、牧との二人きりになった。

「さて、、気づいているか。」
「もちろんです、牧さん。でも言い出せなかったですよねえ……。」

終電終わってる……、と一緒に呟いた。
かといって折角の機会、途中で帰るなんてもったいない。
牧とは何も言わずともお互い同じことを考えていた。

「行けても東京までか?ここからタクシーもきついしな。仕方ない。今日はホテルに泊まって明日移動しよう。大丈夫か?」
「はい。うちの親、何かあったときは無難な選択しろ派なのでお金も余分に持たせてくれたので。牧さんは?」
「あぁ、俺も連絡入れれば問題ない。じゃあ行くか。」

繁華街を目指して歩き出す。
土曜日だと人が多いな、と感じつつ。





「「えっ!」」
目についたホテルに入り、フロントで驚きの声を上げた。

「今から探すのかい君たち……。今日と明日はアイドルのコンサートがあるから周辺のホテルはほぼ埋まってるよ……。」
一番大きそうなホテルだったのに満室と言われて青ざめてしまう。

「ありがとうございます。他を当たってみます……。」
通りで人が多いと思った。
あまりそういったことに興味がなくて、牧もも、コンサートでホテルが取れないなんてことあるのか……という状態だった。

教えてくれたホテルマンに礼をして外に出る。
そう言われてみると、皆非日常的な浮かれ方をしているように思える。
斜め前を歩く牧を見ると、腕を組んで悩んでいた。
ホテルに泊まる以外の対応策を考えているようだったので、それは牧に任せては積極的にホテルに入って空室を探した。
しかしなかなか見つからない。

「うわーどうしましょう牧さん……。」
「今とりあえず野宿という言葉が浮かんだ。」
「嫌です!!」

まさかの案には大きく首を振って拒否した。
それは避けたいと、次に見えたホテルに入る。

「すみませんー!お部屋空いてませんか?」
「少々お待ちください。2名様ですね?」

これまで満室だと即答されてたので待つ時間が有難く感じる。
ドキドキしながら待っていると、少し困った顔を向けられて動揺する。

「キャンセルがあり、一室空きがございます。が、シングルルームでして……。」
「シングル……。」
「大丈夫ですんでそこに入れてください!」

厳しい顔をした牧だったが、は目を輝かせた。
「ちょ、ちょっと待て!分かってるのか!?同じ部屋に宿泊するというのはちょっと……!」
「私気にしません!!」
「それも地味にショックだが、俺が気にする!」
「野宿とか言ってた牧さんが何を言いますか!!嫌です私屋根と壁が欲しいです!!」
「え……と、少々お待ちください……。」

これは女性のほうが優勢だと判断したホテルマンが電話で確認をとる。

「待て、本当に待て。もう少し歩いてここから離れればまだ泊まれるとこも……?」
が珍しく眉根を寄せる。
僅かに動かした足に目を落とすと、赤い炎症が見えた。

「……分かったよ。」
なぜ靴擦れで痛いと言わないのか。
おそらく心配かけたくないという気持ちなのだろうが、こういうときは言って欲しい。

「お客様。お待たせしました。お二人での宿泊可能でございます。ベッドはセミダブルとなっておりますので広めで……ええと……。」
ホテルマンが牧の体格を見て言葉を躊躇う。
狭いかもしれない……と感じてマニュアル通りの対応では厳しい。
「べ、ベッド……。」
が顔を赤くした。
「大丈夫です。ありがとうございます。いくらですか?」
牧が早口で話す。が意識してしまっては自分も余計意識してしまう。




手続きを終え、は有料の備品も購入して部屋に向かう。
エレベーターに乗ると、が緊張した面持ちになってしまった。
勢いで言ったはいいが、いざそうなると、というパターンか、と察して声を掛ける。

「安心しろ。俺は床で寝る。」
「牧さんにそんなことさせたら全国の牧さんファンが私を殺しに来る!!」
「怖い発想だな!!大丈夫だ。一晩くらい。屋根と壁があるしな。」
「牧さん……。」

部屋の前に着き、鍵を開け、電気をつけると牧の動きが止まる。
狭い。
机とベッドとテレビが置かれて必要最低限という感じだ。
確かにベッドが大きい。
ベッドの大きさのせいで他のスペースがない。
床に寝たら通路が塞がれる。

「わぁぁ!部活以外で泊まるのはまた違って楽しいですね牧さん!私、修学旅行と遠征くらいなんです!家族旅行とかほとんどしなくて!」
「えっ……あぁ……。」
は今度は嬉しそうにはしゃぎ始めた。
勢いで言ったはいいが、いざそうなると畏縮してしまうけど、腹を括ったら楽しくなるパターンか!!と訂正して、一安心する。
がこの調子なら大丈夫だろう。 きっと。

靴を脱いでスリッパに履き替えて荷物を机に置く。
がホテルの時計を確認した。

「もうこんな時間ですよ……!さっさとお風呂入って休みましょう。」
「俺が先入っていいか?」
「もちろんですよー!」

ベッドの上にあったタオルと浴衣をひとつずつ手にして、牧に差し出す。
「はい、牧さん!」
「あぁ、ありがとう。」
受け取るとそそくさと風呂に向かう。
が入った後の風呂に入るという状況は避けたかった。
その隙にはベッドに座り、鞄から絆創膏を取り出して靴擦れを起こした部位に貼る。

「途中まで大丈夫だったのにホテル巡りめ……。」
貼り終わった後、ベッドの上から床を見る。
それほど綺麗とは言えないカーペットが敷かれていて、この床に牧さん寝させるわけにはいかない、と考える。
じゃあベッドに一緒に!と思ったが赤面してしまった。

「お、おかしい、こんなはずでは……。だ、大丈夫ですし……寝ちゃえばこっちのもんですし……。牧さんと二人きりとか初めてじゃないですし……私牧さんのお部屋行ったことありますし……。」

ふと、口に出して思い出す。 昨年のことだ。

「…………。」

それまでは牧さんのこと怖がってたんだよな、と思い出すと不思議な感覚になる。
今では考えられない。

シャワーの音が聞こえてきてドキリとする。
ちゃんと浴衣を渡したのだから、半裸で出てくることはないだろう。
昼間、体育館や控え室で脱いでいるのとこの空間で脱いでるのとでは全然違う。
直視できなくなりそうだ。

「あ、そうだ……山王のプレイ、忘れないうちにメモしておこう……!」
マネージャー脳だと肝が据わってるという牧の評価を信じてマネージャー脳にしよう。
そうすればこの緊張も解れる気がする。

牧がシャワーを浴びて出てくると、が机に向かって頭を抱えていた。
後ろからこっそり近づいて覗くと、ノートに箇条書きのメモを書いていたが途中で止まっている。

『河田さん フェイダウェイシュート』

「…………。」

『……全部入れた』

「3回やって3回入れた。」
「!!!!!!!!」
バッと起き上がって振り返る。
浴衣姿で肩にタオルを掛けた牧が笑っていた。

「真面目だな。忘れたことがあったら聞け。」
「あ、ありがとうございます!」
「その前にシャワー浴びて来いよ。」
「はい!」
浴衣とタオルと、フロントで買った化粧品類を持ってバスルームに入る。
服を脱ごうとしたところでドンドンとバスルームのドアを叩かれてびっくりする。
ドアを開けて、目の前にいた牧を見上げる。

「何ですか牧さん。」
「買い物をしてくる。何か欲しいものあるか?」
「え、いいんですか?」
「ああ。コンビニだが。」
「欲しいもの……お、お茶、お茶なんでもいいので……。」

何か言いにくそうにした態度を牧は見逃さなかった。

「他にはないのか?」
「あ、いえ、大丈夫です。私も後で行きます。」
「面倒だろ。いいよ。買ってくるから言え。」
「また牧さんの尋問!!!!!」
「なんだ言いたくないものが欲しいのか!?」
「言いたくないものが欲しいんですよ!!!!!!」
「な、なんだと……!?」

言うのは辛いが牧のショックな顔を見るのも辛くて自暴自棄になってしまう自分が嫌だ。

「……下着ですよ!!」

言ってまた恥ずかしくなって、バタンと勢いよくドアを閉めてしまった。




牧はらしくなくふらふらとした足取りだった。
休めばいいのにこんな時にもマネージャーやりやがって、と思いつつも嬉しくなった。
しかしがバスルームに入った瞬間にやばい、と思った。
女性がシャワーを浴びる音なんて聞くのは不埒ではないか。
シャツの替えを買いに行き、の風呂が終わった頃に戻ろうと思って欲しいものを聞いたらお茶と下着ってどういうことだ。
いや分かっている。
聞いた俺が悪いし普通に欲しくなるものだろう。

「よく考えたら、シャワー浴びて来いよとかすげえ台詞普通に言ったぞ俺……。が何も言ってこなくて良かった……。」
コンビニに入ってうろうろする。
朝食が無いと言っていたので食料も買う。
そして衣類が置いてあるところで適当なシャツを買った。
女性ものをちょっと距離を置いて観察する。

「う、上は無いな。下だけでいいのだろうか……。まああったとしても流石にサイズは知らん……。」







シャワーを浴びて、髪を乾かしてバスルームを出ると、ベッドに大きな山ができていて驚愕する。
「ま、牧さん?」
牧が布団に潜り込んで丸くなっていた。 反応がない。

「あ。」
机の上に袋が置いてあるのを見て、近づいて中身を確認する。

「…………。」
ペットボトルのお茶と、そして茶色い紙袋があった。
開けると女性物の下着が入っていて、が硬直する。

「………………。」
また布団の山に視線を送る。
どんな顔で買ってきたんだ、これを、と思うと同時に、申し訳なさでいっぱいになる。

「牧さん。」
「…………おう。」
「ありがとうございます。ピンクの下着、可愛いです……あの、私こういうイメージですか?でしたら嬉しいです……。」
「やめろおおおおおおおおお!!!!!」

全くフォローになっていなかった。
しかし牧はやっと布団から顔を出してくれた。

「黒とそれしかなかったんだ!それだけだ!!」
「あ、そうなんですか?なら黒が良かったかな……。」
「なに!?お前はピンクだろ絶対……あ……。」

口が滑った牧がまた布団に潜ってしまう。
それを見ては笑ってしまった。

「冗談です。ごめんなさい。牧さん。」
「……靴擦れ痛いんだろうが。」
「だから行ってきてくれたんですね。ありがとうございます。でも絆創膏貼ったから大丈夫です。」

いつも余裕たっぷりの牧だったから、さらっと買ってきてさらっと渡してくるような姿を想像するのも容易いが、このような反応されるのは可愛らしく感じる。

「そういう問題じゃない。お前は時々無理をするから心配だ。特に今回は言ってくれれば途中までなら電車で移動出来ただろうし、さっさとこの辺から離れてホテルを探すことも出来ただろうに……。」
「……。」
「!」

ぱっと周囲が暗くなる。が何も言わずに電気を消したようだった。

。」
「牧さん。」

顔を出すと、が目の前にいた。

「!お、おい!」

が牧が包まっていた布団の中に潜り込んでくる。 咄嗟に腕を掴んで止めようとするが、柔らかい肌の感触をやけに意識してしまう。
起き上がって掛け布団をどかす。
やはり一緒に寝るのは無理だと判断し、どうにかしたいがの様子がおかしい。

「私、今何も無理してないんです。」
「ん?」
「本当に、毎日充実してる。牧さんのおかげです。」

ものそりと起き上がる。
暗闇に目が慣れてきて、は本当に穏やかな顔をして笑っているのが見えた。

「少し、思い出してたんです。昨年のこと。」






バスケは1つ年上の幼馴染がやっていたので試合を見に行ったりはしていた。
教えてもらったり、お遊び程度の1on1ならやったことがある。
幼馴染が高校へ行って、私は受験で、全然連絡を取らなくなったが、気になって試合を見に行ったがいなかった。
怪我をして辞めたと噂で聞いて、そんなものなのかな、と思っていた。
心配だったが連絡しづらくて、なんとなくそのまま疎遠になってしまった。

海南に入ったのは先輩がいて、そのままエスカレーター式に行けば将来やりたいことが出来そうだったから入った。
クラスに出来た友達は、他のクラスの子を紹介してくれた。その中に神君のことが好きな子がいて、たまたま同じクラスで席が近いから間を取り持ってくれと言われた。

正直面倒だった。

でも熱心に頼まれ、一緒にお昼を食べたい、一緒に帰りたいと言われたので、話しかけて誘おうとすると、部活で忙しいと言われた。
バスケ部だというのは知っていたから、見に行っていいかと聞けば、もちろんいいよ、と笑ってくれた。
見学に行ったバスケの練習で、神君は何度も吹っ飛ばされていた。
あんなに神君神君言ってた子は、どんな理想を抱いていたのかわからないけど、それを見て恋心が冷めてしまったらしい。
私は逆だった。
常勝海南、と掲げられて、どれだけ凄いことをやってるんだと思ったら、地道な努力を繰り返していた。
想像していた華々しいものではなくて、淡々としていた。
胸にこみ上げるものがあって、次の日、神君にマネージャーは募集してないかと聞いた。
ハードだよ?と何度も言われたけど気持ちが自分でも驚く程変わらなかった。

入ったときは同じ1年生でマネージャーの子が2人いた。
一緒に頑張っていたつもりだったが、1ヶ月も経たないうちに辞めてしまって1人になった。
部活終わりにファーストフード店に寄ってした会話は、今でも覚えている。

練習キツすぎる。覚悟していたはずだけど中学と違いすぎる。遊ぶ時間がない。 好きな人がいたから入ったんだけど見向きもされない。 もっと優しくして欲しい。

それを聞いていて、同調するのではなく、やめるのかな、二人ともやめちゃうのかな、と焦りばかり感じていた。
確かに体力的にきつい。

ただでさえきついのに、2人が辞めて、今まで3人でやる体制で行っていた業務が一気に自分にだけのし掛かった。
監督やキャプテンが1年の部員にも仕事を分散させるよう動いてくれたが、教えるのは自分だった。

でも辞めようとは思わなかった。
試合のスコアを書くのが楽しい。
近くで、試合ではスーパープレイを連発する海南のメンバーが、こんなに努力してるんだっていうのを見ていたかった。
残るための手段として、消費する熱量を下げた。
やることだけやる。
効率だけを考えて、今までのやり方を変えたりした。周囲からはやる気がないと、あいつも辞めるんじゃないかと思われてもいいと思った。
その作戦をとったら大分楽になった。
それと同時に、一人の選手の目線を気にするようになった。

牧さんは、すでに誰も追いつけないようなエースになっているのに努力を怠らなくて、あまりに眩しい存在だった。
近づくのも怖かった。自分も自分なりに努力してるけど、彼と比較したら何もしてないと同じかも知れない。
練習についていけるように私も体力をつけるべき?
無理だ。
中学で優秀な成績だったプレイヤーでさえも挫折する世界だ。

今の策が一番いいんだ。

でもきっと、牧さんに、お前はやる気がないと言われたら、一発で辞めてしまいそうな予感はしていた。




あの日は委員会の仕事があって、部活の時間にギリギリ間に合うか間に合わないかというところだった。
キャプテンに連絡を入れて、小走りで部室に向かっていたところで、1人の選手を発見した。
声をかけたら様子がおかしくて、話を聞いて欲しいと言われた。

嬉しかった。

こういうところで役に立てたらチームに貢献できるのかなと感じて、私でよければ聞くよ、とちょっとやる気を出してみた。
そんな安易な行動で、セクハラ騒動を引き起こしてしまった。
しかも、助けてくれたのはよりにもよって牧さんだった。

その日の練習は行けなかった。
しかも牧さんも、若干ではあるがその瞬間を目撃していたようで、先生に説明しなければならず、部活に戻れなかった。
一緒に先生のところで話をしていたとき、涙がぼろぼろと零れてしまった。
セクハラのショックもあったが、それよりも牧さんに迷惑をかけたのが辛かった。

次の日、いつもよりもさらにテンション低く部活に向かっていた。
すると、もう少しで部室というところで、牧さんが制服姿で立っていた。
この時間にはいつもはジャージを着て先に体育館で練習しているはずで、目を丸くした。

「マネージャー、ちょっといいか。」

そう言われて、後を付いて行った。
何も言わずに黙っていたが、校門を通るところで流石に声を上げた。

「牧先輩!?部活……は……?」
「いいからついて来い。」

嫌な予感しかしなかった。
人気のないところで説教でもされるのだろうかとびくびくしていた。
そして驚いたのが、案内されたところは一軒家だったというところだ。

「上がれよ。」
「上がれよ!?」

牧、という表札を見て、汗をかく。まともに喋ったことのない牧先輩の家に行くってどうなの? というか何をするつもりなの? 昨日の今日で、男性と二人きりになるとか馬鹿女すぎない? 昨日のことを餌に脅迫とかされるんじゃ……、と、最悪のシナリオばかり浮かんだ。

今思えばただの牧さんの天然発揮だったのだが。

店とかより誰にも会話を聞かれる心配のないところのほうが安心できるだろうという気遣いだったが、家をセレクトするというあたりズレている。

「今日、家に親いないから、気兼ねなくゆっくりしてくれ。」
「えっ!?あ、は、はい!」

凄い台詞をさらっと言うな、と思いつつ、大人しく牧に案内されるまま部屋に入った。

「……。」

バスケットボールが転がり、バスケ雑誌が棚に綺麗に並んで、明らかに牧さんの部屋だった。
中央にテーブルがあり、そこに座布団を用意してくれたので座る。

待ってろ、と言われて一人でいる間、キョロキョロと左右を見渡した。
男性の部屋に入るなんて初めてだったので落ち着かないが、とても綺麗にしている。
すぐに牧さんは飲み物を持って来てくれた。
牧さんが向かいに座った瞬間また緊張する。
練習中のギラギラした感じとは違って優しい表情をしていたので、昨日のことを心配してくれてるのかな、と感じたが、嬉しいより申し訳ない気持ちになった。

「大丈夫か。」
「昨日のことでしたら大丈夫です。ご迷惑をおかけしてすみません。」

ぺこりと頭を下げる。
そういえば牧さんの前で泣いてしまったんだ、と思い出して恥ずかしくなる。

「俺な、来年はキャプテンだから今のうちからやること覚えろって先輩に言われてるんだ。」
「えっ?」
急に話題が逸れて、顔を上げて牧の顔を見る。

「指導の仕方とかな。早いよな。2年に上がったばっかり……、いや、有難いんだけどな。考えたくないが、怪我してバスケできなくなる可能性だってあるのに。」
「そんなこと考えても仕方ないじゃないですか……。」
「まぁそうだけど。」

牧が頬杖をつく。 何かを言いたそうにしているので、飲み物を一口飲んで、牧の言葉を待った。
来年のキャプテンはと考えたら明らかに牧で、誰も反対する人はいないだろうと思っていたが、公言はされてないがもう本人には伝わっていたのか。

「教えてもらってるとき、よくの名前が出る。」
「えっ?」
「備品とかな、細かいことを教えてもらってるとき特に。これはがやってくれるから大丈夫、こっちもが知ってるから任せていい、ってのが結構ある。」
「そ、そりゃそういうものないと、いる意味がないというか……。」
「よくやってくれてるって、褒めてたよ。」
「そうなんですか……。知らなかった……。」

素直に喜べばいいのに、反応に困ってしまった。
よくやってる、という自覚がなかった。
続けることに主体をおいて、無理し過ぎないようにセーブしていたからだった。

「だから、俺も大丈夫かなって思ってたんだ。」
「?」
がマネージャーでサポートしてくれるなら、俺もキャプテン頑張れそうだって思ってた。」
まともに話したこともなくて、遠い存在の牧さんがそんなこと思ってるとは想像もできなかったので目を丸くした。
牧さんなら絶対問題なくキャプテン出来るし、みんなついていくのに、お世辞なのだろうかと疑いたくなる。

「他のマネージャーはさっさと辞めたし、にも押し付けすぎると辞めちゃうかなと思いながらも色々頼んでたら、辞めるどころかもっとこうしたらいいんじゃないですかって意見しやがる、って。」
「そ、そんなに図々しくはしてないつもりで……。」
あれっ生意気だったのかな私……?と考えこんでしまう。
動揺してしまったら、牧さんに笑われた。

「だから、いや、辞めたくて辞めるならいいんだ。でも続けたいって思ってくれてるのなら続けて欲しい。迷惑をかけたからとか、そんな理由では辞めて欲しくない。」
「……。」
「俺が、お、俺がってのはおかしいな……。お前の味方はいっぱいいる。守るから、もう昨日のようなことは起こさせない。」

まともな交流なんて皆無だったのに、考えを見抜かれていて驚いた。
見抜かれているどころか、自分はこういう言葉をかけて欲しかったんだなと気づかせてくれた。

「牧先輩……。」
「ん?」

怖い怖いと思っていた牧さんが優し過ぎて、また涙が溢れて来た。

「辞めたくないんです。」
「そうか。」
顔を見られたくなくて下を向いたら、涙が落ちた。 制服のスカートに涙が滲んだ。

「でも、私が関わって部員が辞めたとか、それは辛いです。それなら辞めたほうがいいのかなって、思いました。」
「辞めるな。」

牧の大きな手が伸ばされ、コップに添えていたの手を優しく包んだ。

「牧先輩……。」
「15年連続インターハイ出場。今年行けたら16年。俺がキャプテンのときは17年目になる。途切れさせたくないな。」
「はい。」
「一緒に行こう。インターハイ。」
嬉しくて嬉しくて、涙は止まらないのに笑えて来た。

「そこはインターハイに連れて行く、じゃないんですか?」
「ふざけるな、お前も頑張れ。」
「鬼ですか!!」

コップから手を離すと、牧の手も離れた。
引っ込めてしまう前に、今度はが手を伸ばして牧の手を掴む。

「頑張ります。牧先輩と同じ夢を目指すなんて素敵です。」
「俺は夢じゃなくて目標だ。」
「あっ!じゃあ、インターハイ出場決めたら、牧先輩は目標達成!って喜んで、私は、夢が叶った!って喜びましょ!いろんな喜び方があったほうが楽しいですよ!」
「お?そうきたか。」
目は赤いと思うが、涙は引っ込んだ。 その日が楽しみ過ぎて仕方ない。

「じゃあ全国優勝したら?」
「全国優勝……!」
「はは、まだ全国に行ったことないと実感ないか?」
「は、はい。でも、でも海南のマネージャーなんですから、次にそう聞かれたら即答できるようにします!」

そのときから頭のネジが一個飛んでしまったのかと思う位、部活のことで頭がいっぱいになった。
さすがにテストの点が落ちたときはやばい、と思って程々にしたりもしたが。
神君の居残り練習に付き合って、パス出しの練習をさせてもらったりもした。
たまに牧さんにも出したが、何度も遅いと言われて悔しくて、筋トレを始めた。
めちゃくちゃ疲れるのに、めちゃくちゃ部活が楽しくなった。

牧さんには感謝しっぱなしだった。
いつからだか牧さんを見るとドキドキして仕事が手に付かないこともあって、そのときは家で冷水を頭から被って家族を驚かせたりもした。
インターハイを決めた時は、牧さんがハイタッチしにマネージャー席に来てくれて、舞い上がって勢い良く立ち上がって、机に脚をぶつけて痛かった。


目の前の牧は何のことだと言わんばかりに首を傾げている。
きっと私にどれだけの影響を与えたか、自覚してないだろうなと思って笑ってしまう。
「今回、山王の皆さんにお呼ばれ頂いたのも牧さんのおかげだと思ってます。」
「俺の……?」
「1年前に、おうちに招いて下さったとき、牧さんが言葉をくれたから、私変わったんですよ。自然と変われていったんです。」

そういえば改めてそのことを牧さんに言ったことはなかったな、と思い出す。
今が、お礼を言うチャンスだ。

「悩んだり一人で抱え込んでたもの全部どうでもいいわー思って、皆のために頑張ろうっておもって、今の自分になれました。牧さんがいなかったら無理だった。ありがとうございます。」
少し恥ずかしくて、照れ笑いを浮かべてしまう。

「あぁ……。」
牧の反応が薄くて、ぱちぱちと大きく瞬きをしてしまった。
「あれ?……牧さん?覚えて……?」
「あんまり……。」
「わぁぁぁぁ!!!!!?????牧さんひどい!!!」
まさかの言葉に今度はが布団を被って丸くなった。

「す、すまん。1年前のあの日だな!?覚えているぞ!会話は……うっすら……。」
「うっすら!!恥ずかしい!!語ってしまった!!忘れて牧さん!牧さんが下着買ってくれたとか誰にもいいませんから!」
「交換条件じゃなくても言わないでくれ!!あ、あのときは、その、なんだ。」

布団を引っ張られて顔を出す。
髪をセットしておらず、前髪が下りた牧はいつもより若く見えて、照れたような顔が可愛らしい。

が、笑ってくれたのが嬉しくてな。いつも物静かで冷静にしてたから。」
「えっ?」
「笑った顔が可愛いなって思って、それはよく覚えてる。」

の心臓が一気に高鳴る。
牧にとっては、思ったことを言っただけの出来事だったのだろう。
にとっては今までの不安が一気に吹き飛んだのだから、温度差があって当然だ。

「もっと見たいと思ったんだが、それ以降は頻繁に感情的になってくれるようになったからな。ああ、今までが抑えてたんだなって。」
「……なんか、色々見抜かれてて私恥ずかしいですわ……。」

もそもそと布団を引き寄せ顔を隠すが、牧が、あ、と声を出したので視線だけ覗かせる。

「これならいいんじゃないか?」
「え?」

牧が安心したような笑みを浮かべた。
が布団に包まってイモムシ状で、俺は普通に寝る。これで接触はなしだ。」
「イモムシ……。」
「イモムシ。」

レディに向かってなんですかそれはーー!!と、ころころ転がって牧にぶつかる。
「おお!すまん!」
もちろんまんまとガードされてしまったが。
「よし!寝るぞ!」
「わあぁ!」
牧に布団ごと腕を回され、持ち上げられて身体が浮く。
布団の隅に移動させられる。

「牧さんお布団……。」
「なくて大丈夫だ。おやすみ、。」
横に牧が仰向けに寝転んで、目を閉じた。

「お、おやすみなさい。牧さん……。」

ドキドキしながら、布団を頭まで被る。
今日は本当に牧さんと一緒で良かった、と思いつつ。