9.藤真のお誘い
店の前で、ここです、と案内された店は、白を基調とした外装で、アンティークの小さなランプと看板があるシンプルな店だった。
牧が露骨に安心した顔をする。
「何ですか、どんな場所に連れて行かれると思ったんですか。」
「女の子しかいないような店だ。」
「そんなとこにいる牧さんも面白そうですけど私は気の利く後輩なので……。」
「自分で言うな。」
「えへ。」
本当に気が利くから文句はないがな、と思いつつ、軽く腕を小突く。
普段は牧の一歩後ろを歩く感じだが、こういうところは率先して動いてくれる。
が店の扉を開けると、ドアベルが優しい音色を響かせる。
「いらっしゃいませ。」
出てきた店員に、が人数を伝える。
牧は店内を見回した。
アンティークな家具が並ぶそれほど広くない空間に、女性が1人で雑誌を読みながらコーヒーを飲んでいたり、サラリーマンが軽食をつまみながら書類を広げてパソコンに向かっていたり、カップルが談笑したりしていた。
案内された4人席に座ると、も嬉しそうにしながら周囲に視線を向けた。
「わー聞いた通り、落ち着くお店!」
「どこで知るんだこういう店は。雑誌か?」
「友達のおすすめです。デート中に寄ったら凄く良かったって。」
「ほお。」
「コーヒーの種類がいっぱいあって、こだわってるって……わー牧さん見てください!深煎りとかフレーバーコーヒーもありますよ!」
「悩むな……。先に藤真に連絡するか。」
「お願いします!」
牧が藤間への連絡をする間、はじっとメニューを見ていた。
友達がデートで良いと言っていた場所に連れてきてくれるとは、少しドキリとしたが、この様子ではコーヒーが飲みたかっただけにも見えるので特に深くは考えないようにした。
送信して、テーブルに携帯電話を置くと、がメニューを牧の方へ向ける。
しばらくペラペラとめくって悩んだあと、最初のスタンダードなコーヒーを見る。
「俺はブレンドでいいかな。」
「やっぱりカフェオレ飲みたいです!」
決まるとすぐに店員を呼んでオーダーする。
メモを取った店員がチリン、とドアベルが鳴ると同時に去ると、は今度は牧にフードメニューを見せてくる。
「ご飯メニュー。どうでしょ?」
「美味そうだな。」
ワンプレートに、主食と野菜とスープがバランスよく乗っている写真が並ぶ。
「男の人的には?」
「いいんじゃないか?男同士で来て食べるのは抵抗があるが。」
「藤真さんはこれとか好きだと思います。」
が指さしたのは、魚料理のプレートだった。
白身魚のムニエルに綺麗に白いソースがかかって美味しそうに写っている。
「いや、藤真はこっちだろ。」
牧が指したのは肉料理だった。
鶏肉のグリルには表面に香ばしそうな焼き色が付き、ボリュームもある。
「えっ、藤真さんって魚食べるの上手そうじゃないですか?」
「どういうイメージだよ。試合中の藤真思い出せよ。意外とがっつくんじゃないか?」
「いえいえいえ、食事ですよ?いつも冷静な藤真さんモードですって。綺麗に骨取りますって。」
「いやいやいや、結構しっかり体作り心がけてるからなあいつ。試合後だし鶏肉食うって。」
「いえいえいえいえいえ」
「いやいやいやいやいや」
「なんつー俺が料理選びにくくなる会話してんだよお前ら……。」
視線を上げると、困惑した表情の藤真が立っていた。
そういえばさっきドアベルの音が聞こえたのだった。
「藤真さん、お疲れ様です!」
が立ち上がって頭を下げると、藤真が笑顔で返してくれた。
「どうも。牧とデート中だった?ごめんね邪魔して。よっと。」
「ごめんね邪魔して、とか言いながらなんでの隣に座るんだ。」
「逆に問うぞ。なんでこんな時にお前の隣に座らなきゃならないんだむさ苦しい。女の子の隣が良いに決まってる。」
「ああああ私が牧さんの横にいたら良かったですね……!」
「気にしない気にしない。いいでしょ?俺の隣。」
ね?と藤真に笑顔で首を傾げられたら、はい!と言うしかない。
「それに俺だって……たまには俺より小柄な人と近づきたい……。」
「ふ……藤真……!」
あまりに切実そうな声色に、牧が絆される。
それ以上席については何も言及しなかった。
「……。(牧さんもバスケじゃそんな身長高い方じゃないもんな……。)」
「……ところで試合はどうだったんだ?」
「勝ったよ。俺も出たし100点ゲーム。楽しかった。」
「おめでとうございます藤真さん!」
「ありがとうね、ちゃん。でも監督はそれだけじゃだめなんだよね。」
に渡されたメニューを開きながら、藤真がため息をつく。
「お、悩みか?」
「お前には相談しないし。するわけないし。」
「なんだよ、話しないかって藤真が言ったくせに。」
「マンデリンにしよ。」
「お料理は頼みます?」
「試合終わりに部員と食ってきたからな~なんだっけ、牧は肉料理でちゃんが魚料理俺が食いそうだって?」
「か、勝手に話しててすいません……。」
「フライドポテトでも頼む~?」
「藤真さんがフライドポテトを⁉」
「イメージがないな……‼」
藤真が二人の動揺に満足そうに笑った。
「俺にもそれくらい食わせろよ。」
「そんなつもりじゃ……あ、すみませーん!追加お願いします~。」
が通りがかった店員を呼んで、藤真のコーヒーをお願いする。
フライドポテトはどうするんだと迷うと、藤真が注文をした。
店員が去ると、藤真が話をバスケに戻す。
「俺も試合に出てたらどうにかなるんだけどな。外で見てる時に、選手のポテンシャルを上げるにはってとこで結構悩む。花形が頑張ってくれるけどな。」
「監督兼任ってのは想像出来ないな俺は。」
「海南は監督もいるしマネージャーもいるもんな……。」
「支えてもらってるよ。」
「いえ!支えさせてもらってます!」
「なんだよその関係は。見せつけるなよ。」
藤真が頬杖をつく。
「まぁうちのことはいいよ。それより聞いた話だけど、今日陵南と湘北の試合があって1点差で陵南の勝ちだってよ。」
「1点差?仙道は出てたのか?」
「出てたってさ。」
先に牧とのコーヒーが運ばれてきた。
目の前にカップが置かれたが、は藤真を伺って、口を付けなかった。
「遠慮しないで、先にどうぞ。」
「いいんですか?」
「そんな気を遣うな。」
「お前が言うな、牧。」
が一口、コーヒーを口に含むのを確認すると、藤真がまた話を戻す。
「どんな展開だったかわからないけどな。今度録画したの借りる予定ではある。」
「いいな……。」
思っていたことが口から漏れてしまって、藤真が笑う。
「海南の分も用意しようか?」
「お願いしたいです!ありがとうございます!」
「連絡先知らなかったな……。教えてもらっていい?」
「もちろんです!」
「牧、ちゃんの連絡先送れ。」
「俺かよ。」
に向けるのはにこにことした表情で、牧と目を合わせるときは真顔になる藤真は器用だなあと感じるが、普段から意識の高い彼は自然とそうなってしまうのかもしれない。
牧が二人の連絡先を少しめんどくさそうに送る。
「ありがとうございます!」
「ありがとな、牧。」
登録を終えて、テーブルに携帯電話を置く。
「流川が入った湘北の強さか……。」
藤真が呟く。 おそらくこのことを誰かと話したかったのだろう。
「周りが強化されれば、赤木の能力も発揮されるところだ、湘北は。侮れないかもしれないな、今年は。」
「安西先生の湘北……。」
ボソリと呟かれたの言葉に、牧と藤真は、ん?と視線を向ける。
「お前の湘北のイメージは安西先生なのか。」
「えっ?そうですね……安西先生……。」
なんでだっけ、と思い出す。
あぁそうだ、幼馴染がうるさかったんだった。
安西先生安西先生って。
「流川にきゃーきゃー言わないの?追っかけとかいるらしいよ?」
藤真にからかうような視線を向けられる。
人のこと言えないでしょう、と思って、唇を尖らせて藤真を見上げる。
「藤真さんだってファンいっぱいいらっしゃるじゃないですか。」
「よし、ちゃん。ちょっと俺にきゃーきゃーしてみてよ。」
そう言って藤真が髪を大袈裟に整える。
は笑いながら、手を組んで藤真を上目遣いで見上げた。
「きゃー!藤真さん素敵ー!!」
「はは、だめだ恥ずかしい。俺はいいよ、そういうのは。」
「ふふ。藤真さんはそういうところがかっこいいんですよ。」
「人気があるってのも大変そうだな。」
「牧さんこそですよ!」
俺には関係ないといった様子でコーヒーを飲む牧にが驚愕する。
「牧は鈍そうだもんなそういうの。」
「ん?」
「私、牧さんの教室にお伺いするとき、先輩方の視線怖くて結構びくびくします。」
「そうなのか?」
「そうですよー牧さん、私見かけるとすぐ来てくれるの嬉しいんですけど……。結構な確率で女の先輩に睨まれますよ……。」
「俺にとっては部活の方が大事だから気にするな。」
「そこは、俺にとってはの方が大事だ、って言うときゅんとするのに残念な男だよね牧。」
「藤真さん……そんなこと言われたら私活動停止の事態に陥るのでやめてください……。」
藤真の分のコーヒーも運ばれて、ポテトと取り皿も置かれた。
「コーヒー美味い。というか料理普通に美味そうだな。なに、この店、良く来るのか?凄く良い。今度花形と来るわ。」
「は……花形と来るのか……。」
「何だよ、文句あんのかよ。俺には一緒に来てくれる女の子とかいな……あ。」
藤真が横で同じくポテトを食べるに視線を向ける。
「いた。ちゃん今度誘っていい?」
「むしろいいんですか!?藤真さんに誘われたら誰でもほいほいついて来そうですのに!」
「勘違いさせたら後々悪いことが起こりそうで怖いから。ちゃんなら安心。バスケの話も出来るし。」
「俺の目の前でナンパとは良い度胸だな。」
「なんだよキャプテンだからって偉そうに。この流れで恋の話でもするか?牧は彼女いねーの?」
藤真の軽率な問いにはポテトを吐き出すかと思った。
いると言われたら激しく落ち込む。
「いや、いない。」
「なんだいないのか。」
安心した表情をしてしまいそうになるのを必死に隠す。
「1年の時にちょっとあったけどな。付き合って欲しいとしつこく言われて、まぁいいかと思って付き合ってみたら、逆に俺がふられたっていう。」
「なにそれなにそれ!!」
「俺がバスケばっかりで構ってくれないからだってよ。」
「ははは!牧も、まあいいか、でOKすんなよ!」
「断っても引き下がらないんだ。まあ、後追いで好きになれるかもしれないと思ったんだよ、そのときは。」
「なったか?」
「ならないうちに別れたんだって。」
「そりゃ残念だったな。」
「……。」
牧さんもいろいろあるんだな、とは危機感を感じる。
でも告白する勇気もないし、どうしたらよいか分からない。
こういうときはマネージャーという立場が邪魔をする。
「まぁ、今は以上に一緒にいて楽しい奴もいないし。」
「お?」
「!?」
「落ち着くし。」
「あ。」
それを聞いたが両手で顔を隠して下を向く。
藤真は軽率に、付き合えば?と言おうと思ったがやめた。
に精神的余裕がなさそうだ。
「ところで藤真、お前は予選見に行くか?」
突然話題が逸れたのは、牧も照れたのかと思ったが、表情からは読み取れなかった。
「あぁ、行けたらいいなとは思う。牧は当然行くんだろ?昨年も通ってたよな。」
「あぁ。」
「私もビデオ部隊で行きますよ!」
がばっとが顔を上げて復活した。
「牧さん、一緒に予選見に行きましょうねー!」
「ええ?」
「えっ!?嫌がられた!?」
牧が嫌そうな声を上げたので驚愕する。
当然、いいぞと言ってくれるものだと思っていた。
「俺はうろうろするから構えないぞ。」
「ビデオって言ったじゃないですか!!放置でいいですよ声入るから!!」
「ははは!構うなだってよー良かったな牧ー!失恋がトラウマか?」
「俺は恋してない。プライドを傷つけられたんだ。」
「うわ!めんどくさい意地っ張りだな!ちゃんも大変じゃない?こいつの相手。愛想尽かしたら俺のとこに来るといいよ。」
「転校はレベルが高い!あ、出張マネージャーしますか?守秘義務はしっかりしますよ。」
「そういうことじゃないんだけどー。それも嬉しい申し出だけどー。」
翔陽のマネージャーをするを想像したら、草原を走る馬の群れの中で、リスがちょろちょろしてるイメージが浮かぶ牧だった。
「じゃあ俺はのマネージャーっぷりを見に行く。」
「お父さんか!授業参観か!」
「ぎえ~~!嫌だ緊張する牧さんは大人しく海南でバスケやっててくださいよ~!」
「酷い言われような気がする。」
牧が露骨に眉間に皺を寄せた。
店を出て、藤真も一緒に途中まで帰る。
分かれ道で立ち止まって向かい合う。
「楽しかったよ。今日はありがとな。」
「監督業頑張れよ。」
「あぁ。また良かったら遊んでくれよ。じゃあな。」
「お疲れ様です!」
牧と藤真は手を振り、は頭を下げる。
見送った後に牧がに顔を向けるが、はいつまでも藤真が向かった道を見つめていた。
「どうした?」
「藤真さん、大変そうですね。」
「そうだな。だがお前にそんなに心配されてるって知ったら、藤真も面白くないだろうよ。」
「……う。」
「藤真は俺たちを倒したいんだからな。」
ぽん、と肩に手を置かれて、誘導される。
どこへ行くのかと思ったが、家に向かっているようだった。
「もしお前に個人的に相談が来たりしたら聞いてやってくれ。俺には弱いところ見せないから。」
「牧さんも心配してらっしゃるんですね。」
「完全にスルーすることは俺にも難しい。」
肩に置かれた手が離され、牧の隣を歩く。
「情報もらえてよかったな。俺も陵南と湘北の試合見たいんだが。」
「もちろんです!借りたら連絡しますね!」
「頼む。」
の家が見えて来て、牧が立ち止まる。
「今日は解散にしよう。ゆっくり休め。」
「はい。明日からまたよろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
牧を見送って家の中に入る。
楽しかったなーという余韻のまま、親に報告に向かう。
泊りとなってしまった経緯の説明と、先輩が一緒だったから大丈夫だったということ。
もちろん一緒の部屋に泊まったなんて言えないが。
そしてもう一点、お小遣いの交渉だ。