伊達軍居候編 10話



小田原に着いた頃には昼をとっくに過ぎていた。
北条の城はやたらと厳重に警備されていて、中まで来るのに随分と時間がかかった。

氏政の霊に話は聞いていたが、これほどまで守りに徹していたとは想像以上だった。
まぁ、爺さんの話聞いた感じじゃ、他国に攻めるほどの兵力はなさげだったし。
その話すら見栄張ってる可能性だって有るんだし、『強い北条氏政』を想像するのは期待外れになりそうだから止めようと思った。
昨日と同様、政宗さんの馬に乗せてもらい、高い位置から周囲の状況を観察した。

「……。」
空気が重い。
……といっても北条の兵の方が殺気立ってる。
怖くはない。
それは守りたいものを守ろうとする殺気なのだろう。

「……なんだ。」

爺さん、あんたは幸せだったんだ。
こんなに思われているんだ。
命を捧げてくれる人たちが居るんだ。
なんで成仏できずにあんなところにいたんだよ。








通された部屋は目の前に大きな襖があった。
開ければそこに爺さんがいるのだろう。
左右に一人ずつ家臣が座っている。
居るのは信玄様と幸村さん、政宗さんに私だ。
小十郎さんと佐助さんは別室で待機している。

そしてゆっくり、襖が開けられる。

居るのは霊だった時と同じ顔、同じ体格の氏政。
……会っても私は戻れない。

「ひ、久しいのう、このようなところまでお出でになるとは思わなんだ。大したもてなしは出来ぬが、ゆ、ゆっくりしとってくれい。……はて、わしに用がある娘というのはそこの者か?」

声も同じだが、私の知っている爺さんはもっとはっきりとリラックスして話していた。
政宗さんの事は見ない。
信玄様の事も見ない。

「……。」

予想通り、私のことなど知らないといったように、首を傾げ、髭をなでた。

「私は、と申します。」
「ほう、とやら、ワシに何用じゃ?」
「ご無礼、お許しを。……爺さん。」

周りの人間、政宗さんと信玄様を除く人たちがぎょっとしたのを感じる。

「氏政爺さん、お久しぶりです。」
「なっ、し、失礼な!ワシはこのような小娘の事など知らぬ!」
「その通りです。今は知らない。けれど私は、あなたに呼ばれました。」
「何を言っているのだ!?信玄公!この者……。」
「あなたは私を頼ってくれる。言葉を交わして、喜んでくれる。私を信じてくれる。」
「突然、何を……。」
「約500年後、爺さんは私と出会うんです。そして、生前に会うことを望んでくれる。だから今ここにいます。」

ジッと目を見つめ、必死に探す。
幽霊の爺さんが、望んでいたものを。
目の前にいる爺さんが執着している、『ご先祖様』の認識を。

「爺さん……もっと堂々としなよ。」

爺さんは、ずっと、ひたすらご先祖さまを求めている。
それは憧れじゃない。目指しているわけではない。
ご先祖様の栄光にすがり、自分の隠れ蓑にしているだけ。

爺さん、だめだ。
そんな気持ちのまま死んだらだめだ。
言葉を止め、すっと立ち上がった。

「ひっ……な、なんじゃ……!!そ、その者を捕らえよ!」

ばっと、側近と思われる人が刀に手をかける。

殿!」
「幸村!」
幸村が駆け寄ろうとしたのを、信玄が止める。

「なぜ、あなたは刀を私に向ける?」
「何を言っているか!?わしが命令したからに決まって……‼」
「違う、爺さん、爺さんを守りたいからだ。」
「……。」
側近は刀を私に向けるだけ。

「私が氏政爺さんに声をかけたあの日、桜の木の下で俯いていたの。この世に未練があったからずっとずっと彷徨っていた。でもそれは北条の名を守れなかったからじゃない……。自分についてきてくれた者を、守れなかったからでしょ。」
氏政の目の前でゆっくりとしゃがみ込み片膝を付いた。

「…今のまま死なないでくれ。皆、あんたについてきてくれてるんだ。あんたを守りたいと思ってるんだ。胸張って答えてやれよ……。」

爺さんの深いところへ届くように、自分の心からの気持ちを紡いだ。
届いてほしいと、それだけを願う。

「な……何なんじゃ……。お主は……。」
側近が刀を鞘に収めた。
「爺さん……。」

頬に手を当てる。
びくりと驚いたようだったが、振り払おうともしなかった。
優しく触れれば、確かに目の前で生きている感触だ。
でもきっと、すぐにまた触れなくなる。

「頭なでてくれないかな。」
「な…?」
「未来ではね、スウッって通り過ぎちゃって…駄目だったから…。」
戻ったらもう叶わない。
爺さんの手が迷うことなく伸ばされ、私の頭にのる。

「不思議な奴じゃのう……。」

顔は戸惑っている。
頼りなさも消えてはいない。
……けど、あんたはそれで良いよ。

惚れはしないが、そっちのが爺さんらしくて好きだ。

ただ、後悔しないでくれ。

きちんと、成仏して、ご先祖さまに会いに行けるように。





「さて、爺さん、本題なんだけど」
「……む?」
にっこり笑いかけた。

「私を未来に返すよう、ご先祖さまに祈って?」
「お主頭おかしいのか?」

間髪入れずにそんな事言うとは。
ふふ、爺さん……
この手は最終手段にしようと思ってたんだけど

「……爺さん、武田との同盟、破棄するよね?」
小声で、爺さんのみに聞こえるように。

「へ?」
「私未来から来たから知ってるの。そんで織田側につくのよねぇ?」
「なっ……ななななな……‼‼」

爺さんが震えだした。
聞こえない人間は全員、突然の変化に不思議がっている。

「言ったでしょ?500年後、あなたは私を信じる……。信じきっていろいろベラベラ喋ったわよ?」

……まだ誰にも言ってなかったのかな?
家臣に対してすら挙動不審になっていた。
目を泳がせてるし、本当に慌てふためいている。

爺さん過呼吸にでもなりそうだよ……。
可哀想だから、話題変えるか……。

「おしりにでっかいほくろがあるそうね?」
「!!」
「痔の調子は大丈夫?」
「!!!!!」
「好きな春画絵師は…「まままま待った‼!!!!!」

あれ、なんだよ、平然と私に言ったくせに。
気にしてたのかよ。

「判った!!判ったから!!いいいいいくぞ!?願えば良いのか!?ご、ご先祖さまぁぁ!この者を、未来へ!!」

氏政が勢いよく立ち上がる。

「いいいい今!?お別れの言葉…みんなに…」
「ご先祖さまぁぁ!!」
「聞いてよもう!!仕方ないなあ!!よし!!来い!!」


黙。


「……何も起こらぬ」
「……おい、本当にこんな感じでこっちに来たのかよ?」

幸村さんと政宗さんが呆れかえってる。
……そうだよ!
こんな感じで来たんだよ!

「……外!外じゃないとだめかも!」

場所を移して再度頼んだ。

「ご先祖さまぁぁ!」
「……。」

「さっ、桜の木の下で!」
また場所を移す。


「ご先祖さまぁぁ!」
「……。」

風すらも吹かず何も変わらない。

「よっ……夜……かな?」
「……。」
「……殿。」
「うむ、……。」

あ、信玄様までそんな可哀想な人を見る目をしないでほしいな……。

「とりあえず俺たちの用を済ませて良いか?」
「……はい。」

項垂れながら、大人しく小十郎さんと佐助さんがいる部屋へと引っ込んだ。











「おかしな娘じゃのう……。あの娘は……。」
「氏政、今はあの娘のことは忘れ、わしらにこれまでの」
「忘れてしまえばわしは何も話さんぞ。」

今までずっと逃げに回っていた氏政がここまで言う。

「何故だ。氏政。」
「よう分からぬわ。ただ、あの者に見透かされたような気がしての。ワシの、弱いところを。」
「そのようなことで降参するのか?」
「違うわい。指摘されて、何か気持ちが軽くなりおった。ワシの弱気を見てなお微笑むとは、おかしな娘じゃの。」
「人を動かすは、人情ということか。」
「世はそのように甘くないとそなたが良く知っておろう。しかし、ワシは、甘い方だったようじゃ。」

政宗はずっと黙って、腕を組んで会話を聞いていた。

「完全にを信用してるな……。調子いいぜ、ジイサン。」
「……殿、やるでござるな。」

氏政がひとつため息をはいて話し出す。
これまでのことを、これからのことも。








「暗っっ‼」

障子を開けると、会話もなく小十郎と佐助が背を向けて座り、とてつもなく気まずい空気が流れていた。
そしては佐助の隣にいるもう一人の人物に注目した。

「忍?もしかしてあなた風魔小太郎ちゃん?」
「!!」

うっかり、小太郎ちゃんて呼びたいよ願望が初対面で出てしまった。
怒られるかなと思ったが、顔を少しこちらに向けるだけだった。
深く被られた兜で口元しか見えないのだが。

ちゃん、小太郎の事知ってるの?しかもちゃん付け?」
「……。」

こんな奴知らないとか言われるかと思ったが、小太郎は静かに座っているだけだ。
全く何も喋らない。

「氏政爺さんに聞いてる。雇用関係だけどすごく強くて信用してるって。」
「……!!」

少し反応したようだが、これは褒められて照れているのだろうか?

「よかったじゃん小太郎、誉められちゃって」
佐助が小太郎の肩に腕を回して、にやにやと笑う。

「………。」
「……何でそいつ喋らねえんだよ。喉つぶれてんのか?」

小十郎は小太郎とは初対面のようだ。
様子を伺い、警戒している。

「あんただってここ来てから今初めて喋ったでしょ……。」
「え、そんなに沈黙してたの!?」
「そうなんだよ、なんか黙って座禅組みだすし、あまりに暇だから小太郎見つけて連れてきたの。」
「そ、そうなんだ……。」
「…………。」
まぁ、喧嘩してるよりはいいか、と前向きに考える。

、どうだった?」
「う……。爺さん協力してくれたんだけど戻れない……。夜にもう一回お願いする……。」
「おい、ここに泊まるってことか?」
「あ。」
何も考えていなかったが、そうなるような気がする。

「私一人残っても……。」
「そんな事できない。」

きっぱりそう言われて、嬉しくて、ぺこりと頭を下げてお礼を言った。

「となると、今は大将と真田の旦那と竜の旦那が……。」
「氏政……。逃げねぇと良いんだが」
「……。」

小太郎が小十郎の言葉に少し怒りの感情を表した気がした。

「……あの、爺さんは大丈夫!逃げないよ!」
「……!」
お、小太郎ちゃんがこっち見たぞ

……ん?近寄ってきたぞ?

「小太郎ちゃん?」
「……。」

小太郎ちゃんが右肩付近に鼻を近づけてきた。
くんくんと

「……く、臭い?」
ふるふると、首を横に振られた。
「……服が珍しい?」
洋服なので、観察されてるのかなとも考えた。
少し間を空けて、小太郎ちゃんがこくこく頷く。

買ったばっかりの上着
……に縫い目。
何でかって
小太郎ちゃんに初日にやられましたからね、あんたにね。

「小太郎ちゃ……ん―!!?」
「なにしてんだよ小太郎!」
「忍ごときが!」

突然触れられ、上着を脱がされた。
しっ、下、キャミソールだけなんですが!?

「武器を出すな後ろの二人―!」
小十郎が抜刀し、佐助が懐に手を入れたのが見えたので、慌てて叫ぶ。
何となく小太郎のしたいことが判っていたが、突然されては驚いてもしょうがないと思う。

肩の傷が露わにされる。
小太郎がそれを見つめる。

「……、もしかしてあの日攻撃してきたのは」
「小太郎ちゃん……だよね?」

小太郎が傷を指で撫でた。
こくんと一度頷いたあと、ぺこりと頭を下げた。

「え、だって私の方が侵入者だったわけだし……。忍のくせにそんな事していいの?」
「小太郎~、ちゃんのが男らしい発言してんぞ~?」

小太郎ががばっと頭を上げて、挙動不審になった。

……小太郎ちゃん、言葉以上に態度で語るなぁ……。
……可愛いぜ……。

「気にしないでよ!」
「っ……!!」
頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。

「……~!!」
「わっ、と!」

の手を振り払って、小太郎が佐助の背後に逃げる。

「ちぇっ」
、人の忍で遊ぶな……。」











日が落ちてきた頃、すっと、障子が開いた。

「話し終わったぜ。」
「政宗様、お疲れ様です。」

「佐助ぇ!殿!終わったでござるよ!」
「ん~?ご苦労さま、旦那」
「佐助!もっと片倉殿みたいにしっかりせぬか!」

信玄の姿はない。

「信玄公ならジイサンとまだ話てんぜ。世間話だけどな。」
私の様子を見て気づいたのか、政宗さんが教えてくれた。
「そうなんだ。」

さっきまで居たのに小太郎の姿は消えている。

殿、夜また試すのであろう?今夜はここに泊まる事を許可していただいた。がんばるでござるよ!」

がんばるのは爺さんの方だが。

「うん!」

軽く流しておいた。

「政宗様、氏政はどうでしたか?」
「……全部吐いた。関係ないことまでな。変更なしで北条を攻めるぜ……。信玄公も同盟破棄だ。」
「政宗様!?」
小太郎が聞いてるかもしれないのにそんな事言うって事は―……
「攻めるって爺さんに言ったの?」
「あぁ、受けて立つと意気込んでたぜ?」

なんと。
やるな爺さん。
こんな展開ありかよ。

政宗さんと幸村さんが私を見てにやにやしてる。
ど……どうしたんだ?







夜になり、澄み渡った空には下弦の月が輝いていた。

爺さんがはちまきをして桜の木の下に立つ。
……いや、そんな気合い入れなくても……という突っ込みはなんとか抑える。

「ご先祖さまが応えてくれたら、真っ黒い空間が現れるはずなの。」
「うむ、いくぞ、。」
周りで、みんながその様子を見てるというのが恥ずかしい。
荷物を抱き締め、それに耐える。

「ご先祖さま、この者はここにいるべきではない。」
爺さんがはっきりした声で話し出す。

「しかし、わしはに会わせてくれたことに感謝しておる。」
「じ、爺さん?」
「未来へ、お返しします!ご先祖さまああああ!!」

爺さんが天に向かって叫ぶ。
その瞬間

「いっ……つ!」

頭が痛くて、手で押さえた。

「え……?」

目の前が見えない。
浮遊感があって気持ち悪い。

戻れるのかと思ったが、だんだん、闇の中に満月がぼんやりと見え始めた。

月は好きだ……
太陽に照らされて……

「…⁉爺さん…?」
ゆっくりと視界が戻ってくると、氏政の後ろ姿も見えた。
膝をついて、肩を揺らして呼吸を荒くしている。
家臣が慌てて駆け付けている。

氏政の視界もが頭痛を感じた瞬間と同時に真っ暗になっていた。

「…な、なんじゃ…⁉」

そしてゆっくりと、何かが映る。
月が出て、星が出て、夜のはずが周囲が明るい。
丘のような場所に立ち、見下ろす町には箱のような建物が数えきれないほど並んでいる。
点々と光が漏れる。
蝋燭の明かりがあんなに明るいはずがない。
色さえ持った光、あんなものは知らない。


……すまない

「‼」

聞こえたのは自分の声。

すまなかった、すまなかった、知らなかったのじゃ、予想できなかったのじゃ

織田の甘言を真に受けて

領地が欲しかっただけだったなんて

すまない、すまない、ご先祖様、家臣の皆、民の皆、

……風魔よ

「何を、何を謝って……。」

あのような、惨劇が

織田軍に  皆殺しにされるなど

「……!!!!!」

ばちっ!!

「爺さん!大丈夫⁉」

突然冷水を浴びせられたような感覚。
気がつくと、家臣よりもが心配そうに氏政の顔を覗き込んでいた。

…。」
「なにか……なにか見えた?私満月が見えた……。」
「……。」
「……それだけ、だった、けど。」

氏政が無事だったことに安心して、自身が戻れなかった事実が後回しになっていた。

「あれは……あれは未来か……。」
「え……?」
「そうか……だからわしは……ずっと成仏など出来ずに……。」

氏政の目にみるみる涙が溜まる。
は何が起こったか分からなかったが、氏政が頭を下げてるので慌ててしまう。

「爺さん!何してるの⁉」
「お主が、わしの平穏を望んでくれるのであれば…‼」

これから起こることを、変えてみせる。

自覚のなさそうなに、すべてを話すのが躊躇われる。
何かがあれば自分のせいだと考えてしまうのではないか。
自分がここに来たせいだと。
その必要はない。
全てはわしの責任で、これからの歴史を築いていく。

「爺さん……?」
「……、お前は大丈夫か?」
「政宗さん……。」

政宗がの肩に手を置く。
振り返ると、真剣な顔をして声をかけてくれていた。

「あ……うん……。だめ……だったね……。」

氏政がゆっくり頭を上げる。
今度はの目に涙が溜まり、ぽろぽろと零れる。

「こんなに……協力してもらったのに……‼」
「それは気にすんな。俺たちには収穫があった。だろ?爺さん。」
「ああ……とんでもない収穫があったぞ。」
「え……?」
「ありがとう…………。」

正面に幸村が立ち、に手をさしのべた。
涙を拭いながら、その手を取って立ち上がる。

「あー……政宗さん、もう少し伊達軍にお世話になっても良い?」
「改めて歓迎するぜ。」
「竜の旦那に拒否されたら武田軍が歓迎するよ?」
「もちろんでござるよ!お館様!良いですよね?」
「うむ!わしの娘になっても良いぞ?」
「むむむむむ娘!?」

予想外の申し出に、は目をぱちくりさせた。

「拒否なんかしねぇ!なぁ!?小十郎!?」
「もちろんです。、俺の野菜をもっと味わって行けよ。」
「小十郎さん……。」

その優しさにの涙も引っ込み、照れ笑いを浮かべながら、よろしくお願いします!と元気よく頭を下げた。