伊達軍居候編 15話
日が傾き始める頃までなまえと政宗とのチャンバラは続いていた。
なまえは汗だらけになり、前かがみになって肩で息をしていた。
「疲れた……。」
「じゃあここまでにするか。」
「うん……ご指南ありがとうございました!!ううー汗かいた。これウエスト締まりそうだな……。」
腕を上げて思い切り背伸びをする。
これまであまり使っていなかった場所を酷使した感覚だ。明日には筋肉痛に襲われるかもしれない。
途中からムキになってしまい、無理してしまった。
「慣れだ慣れ。少しは使えるようになったほうがいいだろ。ある程度護身できるようになれよ。」
「そうですね!何があるかわからないですし!」
「……。」
なまえに背を向けて、自室に向かう。
なまえはそれには付いていかず、身体を回したり脚を伸ばしたりとクールダウンをしていた。
政宗が口元を上げているのには気づかない。
受け答えは、嫌だ、怖い、守って欲しい、でも良かったのだ。
細くて軽くて能天気で、そのへんのお姫様よりも弱そうな見た目をしていて。
なのになんだ、あの好奇心と向上心は。
この俺が、守ると言っているのに聞いてねえのかよ、と可笑しくなる。
だが嫌いじゃない。
そのくらいのほうが好みだ。
自室で箪笥の中を物色し、新品の手ぬぐいを取り出した。
戻って、一息つくなまえの背後に回り込んで肩に掛けてやる。
「お?」
「使え。やる。」
「わあ!和柄綺麗~!これ知ってる!鱗紋!」
「いちいち騒ぐなよ。黙って使えねえのか。」
「ごめん……ありがとう。」
振り返る顔が恥ずかしそうに微笑んでいる。
政宗の気遣いの照れ隠しの為に余計に喋ってしまっている様に見えてしまった。
可愛らしいとこもあんじゃねえか、と、フッと笑う。
「ほら、早く戻るぞ。仕事終わってねえだろ。」
「え、仕事……って、政宗さんの仕事でしょ?」
「なまえさん鋭すぎんじゃねえか~よしその力を借りればすぐ終わりそうだ。」
「都合良すぎてなんて突っ込んだらいいのやら!!」
断れず、また政宗の自室へ向かい、政務の手伝いをすることになった。
今度は隣で、雑談をしながら政宗が書く書簡をまとめて包んでいく。
「小太郎が居ない間は俺が稽古相手になってやるよ。」
「えぇ!?ちょっとどういうこと政宗さんあなた立場分かってる⁉殿なのに!」
「分かってるに決まってんだろ!んだよ、殿に息抜きは必要ないのか?」
「す、すいませ……。息抜きに私の体力削られるの…。まあもう少し強くなれるかもしれないし頑張るか…。」
政宗相手にしていれば、多少の怖い人に絡まれても強く出れるんだろうか。でもそれは元の時代でも使える根性かもしれない。
「でもよ、何かあっても逃げられるんなら逃げた方がいいからな。」
「はい。」
「正直言うと意外だったけどな。」
「え?」
「短刀渡したが、本当に振ろうとするとは思わなかった。」
「そうだったんだ。」
確かに、戦中に誰かに付けられていると感じたとき、心臓バクバクいってた。
小太郎ちゃんじゃなかったらどうなってたんだろうとか考えたりした。
……けど
「いっつも持ってるよ。」
懐から少し出して、柄を政宗に見せる。
「俺の前でもかよ。おっかねぇな。」
「御守りなの。」
「ah?持ってるだけじゃ守ってくれねぇぞ?」
「そんなことないよ?気持ちの問題。」
「気持ちだけじゃ人は斬れねぇ。」
大名として生きる大きな責任を背負った政宗には理解してもらえないかもしれない。
そう思いながらも、自分の意見を耳に入れてほしいなという思いのほうが強くて、口を開いた。
「あのね、持ってると前向きになれるし、安心する感じする。私には政宗さんがいてくれてるんだ、って思えるし。」
貰ったときに握られた政宗の手の温度をまだ覚えている。
短刀をまじまじと見つめながら、ゆっくりと話す。
「危険に立ち向かえる勇気も、くれる気がする。だから強くなりたいと言うよりは……元気になりたくて振りだしたって感じかな。これ使って小太郎ちゃんに相手してもらったの。」
また何か言われるかな、と思いながら視線を政宗に向けると、目を丸くして驚いていた。
「え?」
「……。」
磔にされてるかのように動かない様子に、あまりに妙なことを言ってしまったかと不安になる。
「……あ、私としたことが……か、語っちゃったね……。引いてます?」
こんな政宗が見れるとは予想もせず、慌ててしまう。
だが政宗から出てきた言葉はもっと予想していなかったものだった。
「……それは、俺が幼少の頃持っていた短刀だ。」
「え……なら、大切な物なんじゃ?」
「……俺が一番辛かったときに、握り締めていたものだ。」
「え……?」
辛かった?
……伊達政宗の歴史……。
……あぁ私の知識にはない!!どうしよう知らない!!
インターネット欲しい!!
「そんなもんに、そんな感情抱くとはな。」
かける言葉に困ってさらに慌てるなまえとは真逆に、政宗の口調はとても穏やかなものだった。
「ほ、本当、だよ。」
政宗が少しだけ笑う。
この雰囲気は見たことが有る。
右目関連だろうか。
「政宗さん……あの。」
「嬉しいぜ?俺も、そうだったのかもしれねえな。」
「うん……?」
「そんなお前にひとつ教えてやるよ。誰も言わねえみたいだからな。」
「?」
首を傾げながら、政宗に身体を向ける。
「小田原でのあの夜、お前が苦しそうな顔してたからよ、俺は駆け寄ってたんだぜ。」
「え。」
「せっかく気にかけてやったのに、当のなまえは爺さんに一目散に向かって行っちまった。」
「ごめんなさい!気付かなかった……‼」
「振られた気分だったなぁ……。」
「えっ!ちょお、ど、どうしよ。ほんとに、あの……。」
下を向いただけなのに、なまえは慌てて政宗の肩に手を置く。
その慌てぶりが面白くて笑ってしまう。
「冗談だ。」
「え、えーーー……いやでも、お気遣い頂いたのに……。」
「なまえの言葉は本当に信じてたぜ。未来から来たって話をな。でもよ、その姿見たらなあ。マジで爺さんと繋がってるんだなと改めて思ってな。」
今度は政宗が優しく笑う。
自身の部下を、労わるような微笑みだった。
「あんな状況で、お前の事を知らねえ爺さんに対して、同じ爺さんだと信じて接してたんだろう。一本芯が通ってる奴じゃねえかって。言葉だけじゃねえ。なまえ自身のことを信じてやれる、って思ったぜ。」
「政宗さん……。」
「少し……昔の小十郎まで思い出しちまうしよ。」
「昔の小十郎さん?」
「口だけだと侮る余裕すら与えてくれねえ。ガンガン態度で……行動で……示しやがって……。」
今の様に政宗様政宗様と優しくも厳しい家臣ではないのだろうか。
懐かしむ政宗の左目は穏やかな光を湛えていた。
「真剣な、怖い顔して駆け出して。あんな顔も出来たんだな。」
なまえが手で顔を隠す。
そんな顔を政宗に見られていたのが恥ずかしく感じてしまう。
「何顔隠してんだよ。……今、もがいてるお前がその刀を持っていることが自然に見えてくる。」
「!」
なまえの両手首に政宗が指を添える。
「……。」
片手ひとつで束縛できるような細い手首だった。
そっと退ければ、困惑したような表情でなまえが政宗を見上げた。
あまり考えずに部屋に招いてしまっているが、徐々に暗くなる部屋で、女と二人きりという状況か。
下手に家臣に見られれば勘違いされるかもしれない。
そういうことは避けてたはずなのに。
思い出してしまって、女という生き物にそういう感情では浅くも深くも関われなくなってしまって。
「……あ、あの。」
黙ってしまった政宗に、なまえは控えめに微笑みかける。
「じゃあ、政宗さんが私を信じて預けてくれたと思って、引き続きこれお借りしてていいですか?」
短刀を両手で握りしめ、政宗に向かって持ち上げる。
「もし、私が信じられないって思ったら取り上げて頂いて大丈夫です。そうなったら、私のメンタル……精神が弱っちゃってるってことだと思って、対策できるし。気付かずおかしくなっちゃってる方が怖いですもん。」
「そんなことがあるのか?」
「鬱、って言います。」
「うつ。」
「心の病気のひとつです。」
「ふうん……。そんなヤワには見えねえよ。」
「へへ。ありがとうございます。でも、強さとか関係なくなっちゃうときはなっちゃうんです。」
「……俺もか?」
「可能性は否定しません。でも、生活見てたら大丈夫そうには見えますけど。私もそっちの勉強はいまいちなんですけどね。」
なまえは、興味の方が勝るから大丈夫なのだろうか。
風呂で聞いた、未来では縁組は好き合った人間とするという話を思い出す。
なまえにも愛し合っている人間がいるのだろうか。
「どうしました?」
「ん?」
「少しぼーっとされてるような……。疲れが出てますか?」
心配そうな顔でなまえが政宗の顔を覗き込む。
「そうだな。腹が減ってきたか……。」
「それ終わったら夕餉にしましょうよ!」
「ああ。」
あとは署名をするだけの書類をなまえが指差す。
素直で真面目な奴だ。
そんな相手がいるなら一緒に風呂に入った時点で話してくれているのではないだろうか。
愛する者を裏切るようなことはできないと。
「なんか食べたいものとかあるか?」
「あ!私思い出しました!ずんだ餅!食べてみたいです!」
「……夕餉じゃねえだろう。まあいいけどよ。思い出したって、有名になってるのか?」
「あ。あの、はい。」
なまえは少しの時間、目を泳がせた。
言って良かったのか動揺しているようだ。
「深くは聞かねえよ。俺はお前を利用したいわけじゃねえ。」
「ありがとうございます……。そういえば小十郎さんも武田の皆さんも、私の時代の事は聞いてきても自分たちの事聞かないですね。」
「?どういうことだ?」
「自分たちはこの先どうなるのかとか。」
「500年先にも……俺たちのことは詳細に語り継がれているのか?」
「‼」
余計なことを言ってしまったかとなまえは目を丸くする。
当事者だとそういう感じなのだろうか。
政宗の自分への態度が豹変したらどうしよう、と着物を握りしめてしまう。
そんななまえの手と表情を、政宗が交互に見る。
「び……ビビんなよ。情報は要らねえ。これからの事は自分で切り拓く。武田の奴らだってそうだ。ただ、あまり人には言うな。」
むしろ気遣ってくれる態度で、安心したような、政宗の優しさに軽率な自分の発言への罪悪感が余計に募るような気持ちになる。
そんな自分を守ると言ってくれた政宗には、きちんと言っておかねばならないと口を開く。
「でもね、私、詳しくないの。」
「ん…?」
「詳しい人なら、歴史が好きな人なら、いつどこでどういう戦があって、それが後にどういう影響を及ぼして…って、全部、分かってると思う。でも私は、あの、違うことを学んでたから、そっちばかりに夢中になってたから、大体の事しか知らなくて……。」
言い訳臭い言葉を挟んでしまった。
政宗に自分が関心が無いと思われたらと考えると手汗がにじむ。
「詳しい方が厄介だ。それくらいでいい。」
「!」
「何俯いてんだ。そんなんでここから出てけと言われるとでも思ったのか?」
「ううん……!」
顔を上げると、政宗が口角を上げて笑みを浮かべていた。
立ち上がってなまえに手を差し伸べる。
それに甘えて手を掴んで立ち上がり、部屋を出る。
「小十郎がなまえに出す野菜すげえ気合入れて選んでたぜ。あいつなりに帰れなかったこと慰めようとしてんだろ。」
「わあい!ありがたく食べます!!」
歩く政宗の一歩後ろを付いていく。
政宗に拾ってもらえてよかったと思えて仕方ない。
「いつか政宗さんにお礼が出来たらいいな。」
「いらねえいらねえ。気にすんなよ。」
「だってこんなにお世話になって。」
「なまえと話してるのおもしれえしよ。今、日ノ本でこんな経験してんの俺だけだぜ?気分がいい。」
「そんなもんですか……?」
自身のキャリアのひとつとして、ということなのだろうか。
「礼より先に身体鍛えるぞ。」
「え。」
「もっと筋肉をつけろ。明日は朝から打ち合うぞ。」
「えええ!!!!!」
「政宗様、なまえ、夕餉の準備が出来ました……が?なにかあったのか、なまえ。」
廊下で小十郎と、大声を出してしまった瞬間に出くわしてしまう。
「小十郎さんみたいに筋肉つけるにはどうしたらいいですか!?」
「小十郎ぐらいはやめとけ。」
「俺ぐらい筋肉をつけたなまえ⁉想像できねえな……畑仕事するか?」
「そこはブレないんですねえ。」
でも政宗の怖いのより小十郎さんと畑仕事のほうがいいな……と小十郎に寄っていったが、政宗に襟を掴まれ阻止されてしまった。
翌朝、小十郎は縁側で茶を飲んでいた。
「おい!どーした!?もっと動かねぇと気持ちよくなれねぇぜ!?」
「ひゃ!ひっ……酷い~……頑張ってるのにっ!」
「もっと腹も腰も使うんだよ!おらぁ!俺が主導権握っていいのか!?立てなくなるぜ!?」
「ちょ……もう握ってるじゃんっ……あっ!や、待って……!」
「あぁ!?こんなもんで済むと思ってんのかぁ!?」
「あ~~~‼ほんとに待って‼少しでいいから休ませて……‼」
「……。」
政宗となまえの声に目を細めながら、茶請けに持ってきた大根の糠漬けを一つ口に入れた。
「おはよう、片倉殿……。何事?朝から元気に卑猥だね。」
とたとたと、朝食を済ませた成実が様子を見にやってきた。
「卑猥だと思うのは俺達が汚れてるからだ。」
「ひっどいなぁ。って、達って、片倉殿も思ってんじゃん。」
「……。」
ずずーっ……
「当の本人達は至って健全ってオチですか。」
庭で繰り広げられるスパルタ政宗の剣術特訓。
政宗曰く息抜き。
なまえ曰くいじめ。
「武器は絶対手放すっ、な!」
「ぎゃ―!がん、ばる!」
政宗はずっとなまえの手から武器を弾こうと攻撃をする。なまえは必死で受け流している。
最初は上手くいっていたが体力の差は歴然で、そろそろなまえがついていけなくなっている。
「政宗様、その辺にしてあげてください。」
「あ?」
政宗が攻撃を止めるとなまえは息を荒げ座り込んでしまった。
「あ―あ。なまえちゃん、くたばってんじゃん。もっと手加減しなよ。」
「これ以上は出来ねぇな……。というかこいつはまだ動けるってんだ。な?」
「このままやられっぱなしでは私のプライドが‼まだまだ!!」
「……政宗様、なまえ。」
小十郎の声が低くなり、二人がビクッと肩を震わせた。
「仕事、ありますよね?」
「「……はい。」」
朝のレッスン終了。
政宗らに着いて行き、広間で地図を広げた上層部に交じって会話に参加する。
「へえ~、これ日本地図……。」
ちゃんとしてる。
どうやって描いたんだろ?
当然だけど、県も藩もないや。
伊能忠敬は江戸時代だったか……?
さすがに口には出さずに、静かに地図を眺めた。
「美濃は織田に落とされたと。さて、俺らはどうするかね……。」
「織田はどこ?」
「ここだ。尾張。」
なんとなく知ってはいたが、いざ指をさされるとそこだったのか、と思ってしまう。
「うちの隣は越後。軍神様がいらっしゃるぜ?」
「軍神様?」
「上杉謙信だ。」
かすがの主だったはずだ。
すぐ隣だったのか。
「徳川は?」
「三河は……ここだな。」
「豊臣。」
「ここ。」
「……。」
「……。」
「ま、まあ……知ってる方……なのか……?」
「すっごい同情したような声やめてください!!!!!!」
政宗がなまえを慰めるように肩に手を置き、なまえは机に手をついて項垂れた。
「なまえちゃんは医学学んでるらしいしさ、仕方ないよ。」
成実が政宗の腕をぽんぽんと軽くたたく。
「う……。まだ学習中の身ですが……。」
「まぁいい。さぁて……。」
政宗がまた地図に向かう。
同じく覗き込み、また勉強再開だ。
「これ、なんて読むの?」
「四国か。ちょうそかべ、だ。」
「へぇ~。あ、毛利、ここも知ってる。ん?ここは?北の……青森あたりの……えと……。」
「ここは農村が広がってる。こっちは津軽。」
「りんごだな。」
「あぁ、りんご……。ふざけてんなら下がってろ!!」
「すいません!!」
ここは本気で、頭を下げて謝罪する。
小十郎はその騒ぎを意にも介さず話を進める。
「確かに織田も気がかりですが、豊臣……。奴らは軍事力拡大のため、本多忠勝すら狙っていると。」
「ふーん……。」
本多忠勝?と首をかしげると、成実が耳打ちをしてくれた。
「徳川家康の家臣だよ。戦国最強を名乗ってる。」
「最強!?」
「まあ、その名に相応しくすげえよ、あれは。」
最強の名を持つもの……!かっこいい……!でも怖っっ!冷酷残虐なのかな……?と思うが、成実は感心するような顔で恐れている様子はない。
どんな人なのだろう、と想像していると、茶を出せと政宗に言われ、仕方なく部屋から出る。
「尾張の織田……か……。彼は本能寺で……。」
廊下を歩きながら独り言をつぶやく。
「……どうなんだろ?」
自分の知ってる歴史どおりに進んでいるのだろうか。
そもそも現代で氏政から聞いた時点でそれはありえないだろう、と思うことばかりだった。
もし、織田信長が死ななかったら?
彼がそのままずっと天下統一を?
「……分かんないなあ。」
少しネットで調べたら、様々な考察が出てきそうだが、自分一人の頭ではどうにもならない。
もっと詳しかったら、知っていたらと考えてしまって仕方がない。
人数分の茶を一気に運んでしまったら、大量になってしまって重い。
こぼさないように、慎重に歩く。
政宗の部屋の前まで来て一度お盆を置く。
正座をして、両手で障子を開けてと、女中さんの真似をする。
「はいお茶ですよ……。って解散してんじゃねぇよ!!」
まだ地図を囲んでいるとばかり思っていたが、中には成実しかいなくて一人つっこみだ。
「え、えーー……人にお茶頼んでおいて……え、私そんなに遅かったですか?」
「ありがとごめんね~。飲む飲む~。あ、殿はねぇ、忍のとこ行ったよ~。黒脛巾って言葉出てきたら忍のことだから覚えといて。いつ戻るかなあ。ちょっと時間かかるかも。」
湯呑みを持って無邪気に笑う成実は、最初に会った時から変わらず優しそうで、話しかけやすい。
片倉殿は馬の様子見に行って~と、いろいろ教えてくれる。
「あの~。さっきの地図、今使ってないですか?見ていいですか?」
「あ、丸めてしまっちゃった。いいよ。今出す。」
成実が机の引き出しから先程の地図を出す。
広げて、関東を観察する。
「気になる場所があるの?」
「小太郎ちゃんが戻ったら、私が未来で最後にいた場所に行ってみたくて。」
「なるほど?」
「何かありそうだったら、氏政爺さん連れていってまた試せないかなと……。」
「……帰りたいんだね。」
「え?」
この時代では自分が異質なもので、早く帰らなきゃと思っていたなまえはその言葉に驚く。
「あ、いや、なんでもない。」
地図から目を離し、気まずそうに茶を啜る成実と向き合う。
「……成実さんは普段何してるんですか?」
「ん?俺?稽古してるよ?」
「兵の指導とかもしてるんですか?」
なまえにとって彼は日常があまり見えない、一番謎な人でもあった。
「興味持ってくれて嬉しいよ。そうだね、指導もするし……軍務もちとやって、たまに大森城に行ったり……。」
「え、え、成実さんのお城?軍務!?頭良いんだね成実さんて!」
「違う違う。頭使う仕事は大体片倉殿だから。ちょっと手伝いする程度だって!」
「へえぇぇ……。」
「あ、ちょっと、照れくさいなもう!そんな目輝かせないで!俺は肉体労働!次どこ攻めようが、絶対勝つ!」
「頼もしいです!」
「頼もしいのはなまえちゃんも同じ!」
意外な言葉にぱちぱちと瞬きをする。
「頼もしい?」
「うん。」
「朝政宗さんに惨敗したのにですか?」
「殿に勝ったら凄すぎるよ……。」
苦笑いする成実の真意がなまえには想像もできない。
「……帰れなかったらさ、殿のお嫁さんになればいいのに。」
「急すぎる。」
「え⁉そんな反応⁉」
「え⁉むしろどんな反応が正しかったですか⁉」
「あ、ごめん……。そうだよね。なまえちゃんは違うよね……。殿の正室になりたい人なんてたくさんいるし、そういわれたら大体の女の子は喜ぶんだ。」
「あ……。」
こればかりは現代の感覚とは分かり合えないだろう。
家の事、立場の事、様々なことを背負って嫁ぐのだろうと他人事として考えることしかできない。
「でもなんでそんな?なにか得あります?」
「あるあるあるある!!殿があんなに一緒に居たがる人初めてだもん!」
「それは……珍しさからじゃ?」
「それだけじゃああはならないよ!だから、俺は、なまえちゃんに……殿の事……裏切らないで欲しいと思ってる。」
「……裏切る?」
「色々あったから。殿は。」
笑顔が消えて表情に影を落とす成実に眉根を寄せてしまう。
裏切るなんて、絶対にしたくないと思う。
でもこのままここで政宗の正室になるなんて、現実感もなく夢の話のようだ。
そもそも政宗にそんな意思があるとは思えない。
「じゃあ忍と一緒に北条氏のとこ行かなかったのは殿と一緒がいいとかじゃないの?」
「そんな風に思われてたんですか⁉爺さんと小太郎ちゃん二人でゆっくりして欲しかったからです。私のことまだ友人としてくれてないみたいなので、主と元主って気を遣わせちゃうかもですし。」
「優しいな。」
そうか~と成実が天井を見上げた後、なまえに向かって姿勢を正す。
こほん、と小さく咳払いをした。
「えーと、じゃあ、俺はなまえちゃんに殿の良いとこ沢山教えようかな。」
「何でだよ。」
「殿のことを好きになってもらえる……よう⁉」
なまえの声ではない低音の声に成実が驚愕して振り返る。
政宗が不快そうに眼を細めて二人を見ていた。
「政宗さん。」
「なまえ、お前文字すげえ書けんだろ。頼みたいことがあるがいいか?」
「え、ええ。あまり綺麗な文字じゃないですが……。」
「先に行ってろ。」
成実さんが怒られてしまうのだろうか、と心配になるが、成実はなまえに笑顔で手を振る。
地図をもとの場所に戻して、小走りで部屋を出て政宗の部屋に向かった。
「あ、あのね~殿……。いつから聞いてた……?」
なまえが見えなくなると、成実は冷や汗をかきはじめた。
「……何となく分かる。俺の為にしてるってこともな。」
「そうなんだけど……。」
「でも外野からの真面目な話は控えてくれねえか。俺はなまえの自然体ともっと接したい。」
「え。」
「縁組だ正室だ側室だ……そういう話とは別のとこでよ。俺に媚びねえでへらへら笑うあれ、結構居心地良いんだ。そういうもんは冗談で言わせてくれよ。」
言葉に詰まる成実を置いて、政宗も自室へと向かう。
ひとりになった成実も無言で立ち上がって、小十郎の畑を目指す。
「かっ……片倉殿……‼」
「どうされました?」
畑を耕していた小十郎は手を止め、汗を拭きながら不思議そうに成実を見る。
「俺が思ってた以上に、殿となまえちゃんは良いかも!」
「は?」
「なまえちゃんが帰れなかったら、嫁いでもらおうよ!」
「い、いや……待ってください。話の前後が……。」
「とにかくさーーもう今二人で殿の部屋いるから見てきて!片倉殿の感想聞かせて‼」
ぐいぐい成実に背を押されるが、それ以上に小十郎も二人の関係性は気になる。
休憩を兼ねて、政宗の部屋へと向かった。
庭から近づくと、政宗が部屋の備品を確認し、なまえがそれを紙に記していた。
在庫を発注するのだろう、墨、筆、香……と声が聞こえてくる。
普段なら政宗一人で行っているものだが、なまえに生活に慣れてもらうためかもしれない。
「……と、袴、欲しいか。」
「また借りちゃだめですか?」
「俺のおさがりでずっといるのか?明日、業者呼ぶか。」
「オーダーメイド⁉いや、いやそんな、申し訳ない……‼政宗さんのおさがりがいい‼」
普通の雑談をする二人の感想を求められても困ってしまう。
そのうち、良い、と思える雰囲気になるのだろうか。
「……。」
政宗様が誰かを選ぶならば俺は支援するのみだ、と、ずっと考えていた。
だがまさかこんな相手と出会うなどいつ想像出来ただろうか。
ふと、箪笥を覗き背を向けるなまえを政宗がじっと見つめ始める。
そして近づくと、政宗がなまえの髪を撫で始める。
「!!」
小十郎は驚いて二人の前に姿を現し、なまえが振り向き、政宗はおお~!と声を上げた。
「え?何か付いてました?」
「政宗様‼そのように軽率に女性の髪に触れるものではありません!」
「なまえの髪なんだ?艶は少ねえがさらっさらでふわふわしてんな!」
ここに来るちょっと前に美容院でトリートメントしてたもんな~となまえは呑気に考える。
政宗は飛び出してきた小十郎に笑顔を向けていた。
「お~小十郎。小十郎も触らせてもらえよ。」
「政宗様!」
「Ah?何で駄目なんだよ。」
心底不思議そうな政宗に、小十郎はため息を吐く。
「ただでさえ城下で政宗様の傍に女性がいると噂が出てしまっているようなのです。」
「いや、実際いるしな。」
気にすることはないといった雰囲気で政宗がなまえを親指で指す。
「政宗様この前縁談をこっぴどく断ったでしょう!!」
「それがどうした。小十郎だってあんなとこと繋がっても何の得にもならねえ断ったのは正しいと言ってただろうが!」
「でもあそこまで言えとは言っておりません!」
「俺と話したこともねえのに好きだ好きだとしつけえんだぞ!?はっきり言って俺は全く好みじゃなかった!」
「遺恨を残してしまってはなまえの話を聞いて嫉妬し、何をされるかわかりませんよ⁉女の嫉妬を甘く見てはなりません!」
「はあ⁉それと髪に触れることと何の関係がある⁉」
政宗と小十郎は主従のはずなのに口論は本気でやるんだなあ遠慮がない……となまえは一歩引いて見ていた。
「傍から見ると恋仲に見えるのです!政宗様の軽率な行動でなまえが恨みを買ったらどうされるのです!」
「守ればいいんだろうが!」
「簡単に言わないでください!」
「……小十郎さんて女性関係でそんなに恐ろしい修羅場に遭遇したことがあるんですか……。」
なまえの言葉に小十郎がぴたりと止まる。
政宗が小十郎となまえを交互に見て、にやりと笑った。
「そうだぜ小十郎。何か経験したことあるような口ぶりじゃねえか。」
「…………なまえ。」
「はい。」
「昨日なまえへの夕餉奮発したんだがな…。」
「え!?恩を仇で返していますか今の私!?」
小十郎さんて若い頃やんちゃだったのかな…?と思いながら、一気に静かになった小十郎の背をぽんぽんと叩き慰める。
「あとで教えてくれよ小十郎。にしても恋仲に見えんのか本当に?小十郎の目がなまえに慣れたってのもあるんだろ。」
「どういうことですか?」
「他の女と全然違うだろう。髪にしても、眉にしても城下や世間のお姫さんの流行りじゃねえ。仕草も言葉遣いもだ。政宗様が変わった客を連れてる、としか思われねえんじゃねえか?」
「うわ~~~今の私皆さんから見てどうなんです?ださい?」
「そんなことはない。変わってはいるが似合っている。確かに多くは髪に油で艶を付けている者が多いがそうしなくても美しい者は美しい。」
小十郎の口から飛び出した美しいの枠になまえも入っているのか微妙なところだ。
なるほど、小十郎は女に勘違いされてしまう人間かもしれない。
「俺はこの指触りのほうが好きだぜ。べたべたしてんのはあんまり綺麗と思わねえんだよな。」
政宗がまたなまえに近づき、髪を指で梳かし始める。
「ありがとう。」
なまえはにこにこと笑って政宗に礼を言うだけだ。
政宗に好きだなどと言われたら舞い上がる女の方が多いというのに、能天気なものだと小十郎は思ってしまう。
それか賢く、きちんとそれ以上の意味はないものと分かっているかだ。
それならば傍にいる者としてはありがたい。
「それに他の女と全然違うってのが……。」
靡く艶やかな髪や
上品に弧を描く口元や
優雅に動く指先や、
ふと名前を呼ぶ声に遠い記憶の優しい母上を思い出すこともない。
「……。」
「政宗さん?」
急に黙ってしまった政宗の顔をなまえが覗き込む。
「ああ、いや、珍しいもん拾ったぜって実感していい。」
「そうなの?ご迷惑になるなら馴染むように色々努めますけど……。」
「そのままでいい。」
「はい……。」
「まあでも香ぐらいは嗜むか?良い香りは落ち着く、ってのは未来でもあるんじゃねえか?初めて会ったとき嗅いだ事のねえ匂いがしたが、好きな香りはあるか?」
「来たときはラズベリー……ええと木苺の香りを。香として流通してるものならそんなに嫌いな匂いは無いと思います。」
「木苺だ?随分可愛いじゃねえか。もう少し嗅いでみたかったが持ってきちゃいねえんだろうな……。そうか……じゃあ俺が似合いそうなものを見繕ってやる。」
なまえは感動した。
現代だったら香水をプレゼントされたら結構引くのに、政宗にそう言われると品性を感じて嬉しくて仕方ない。
「ありがとうございます!楽しみ!!」
「おう、期待してろよ。」
政宗がまた備品の確認を始め、なまえもそれに付いていく。
小十郎も一言声をかけて畑へと戻っていった。
成実が小十郎の姿を見つけると走り寄ってくる。
「片倉殿~!どうだった!」
「どう……とは。」
「え⁉二人の事だよ‼お話!」
「政宗様となまえとのお話ですか?楽しかったです。」
「何その可愛い感想!!!???」
小十郎は当初の目的をすっかり忘れていた。