奥州帰還編 第8話
予想通り、コンクリートの上にわずかに浮いた状態で辿り着く。
「いっ……」
横向き体制で落ちて、腕に痛みが走る。
戦国時代とは違う、怪我は早く治らない、ということを考えてしまうが、少し打った程度だ。痣程度で済みそうな衝撃を我慢する。
そしてイメージした通り、立って走って家に向かう、と顔を上げると、目の前の家から眠そうな顔をした男が出てくる。
「思ったより、早かったな……。」
「……。」
携帯の時計を見る。朝の6時だった。
「二人はいないんだ。」
「う、うん。起きててくれたの……?」
「いや、結構寝たから大丈夫。」
に近付き、座って手を差し延べた。
「ほら、立てる?」
「うん。」
立ち上がって、乱れた着物をひとまず直す。
「行った時と着物違うな。」
「政宗さん……伊達がくれたの。」
「はは、どっちで言ってももう判るよ。」
「え。」
「目の前で消えて、現れたんだ、……信じるよ」
「ありがと……。」
「いやもう少し詳しくは知りたいけどな?」
はの姿を頭から足先まで視線を巡らせた後、頭を掻いた。
「あ、う、うん。は着物、そういう女の子っぽいほうが、似合うぜ?」
「え、あ、ありがと。」
「とりあえずさ、うち入りなよ。えっと、怪我とかはない?」
「え、いいの?少しぶつけた程度だから身体は大丈夫だけど。ご家族は?」
「寝てるからちょっと、静かにね。」
が人差し指を口に当て、しー、と言う。
小太郎ちゃん直伝の気配の消し方があるから大丈夫だよ!と思い、は自信満々にこくりと頷いた。
階段を上がり、彼の自室に通される。
十畳はありそうな広い部屋にセミダブルのベッド、勉強机、ラグマットに小さなテレビとゲーム機があり、床にはローテーブル。高校生の頃から変わっていなさそうな実家の雰囲気がある。
「ソファ無いんだよ、ベッドに座る感じでい?」
「うん。お邪魔します。」
着物のまま座ろうとするが、そういえば海辺を歩いたのだった、と思い出す。砂が付いていないだろうか、と着物に触れる。
「……。」
戦国時代の松島の砂、ってそれだけでなんか凄いんじゃ?と頭をよぎるが、考えないようにしよう、と切り替える。
「どした?」
「この着物で海辺歩いたから汚れてるかもと思って。」
「いいよ別に。」
「あ、いや、床、ラグマットだし、ここしゃがんでいい?」
「まって、座布団……はいこれ。」
「ありがと。」
としては発言は全て本心だったが、は男の部屋に入っていきなりベッド座っては警戒されるよなそうだよなー!と後悔していた。言葉を慎重に選ばねば、と思いながらの横に座る。
「それで今どういう状態?睡眠は?風呂は?要る?」
「睡眠はなんか、大丈夫。お風呂は家に着いたらシャワー浴びようとしてた。」
「そっか。窓から外見ててさー、なんか真っ黒いのが急に現れて……ホラー映画みたいだった。慌てて外出たらがいて……」
現れて道に倒れ込んだ瞬間は見ていなかったようだ。ならばしきりに心配はしてくれるが、右腕は、など具体的なことを聞いてこないのは納得だった。
「うちでシャワー浴びる?」
「ご両親にばれちゃわない?」
「共働きだから7時には家出るんだよ。母さんとの体型似てるから服借りる?それか車で家送るから着物のままが良けりゃそれでも。」
「汚れてるかもだからじゃあ……車、も甘えちゃおうかな。」
「朝ごはんは何派?」
「なんでも大丈夫だけど、普段はパン。楽だから。」
「俺も!食パンある!」
はじゃあシャワー浴びてそれ食べたらの家送って着替えて大学だなーとこれからやることを言葉にしながら、ベッドに座る。
「あのさ……」
を見下ろす形で改まった声を出し、何が起こったのか聞かれる、というのを察する。
「……どっちの人?」
「はい?」
「……は……こっちの人?戦国時代の人?」
「……。」
そこからかい!と突っ込みをしそうになってしまった。
「いや、こっち……だろ、って思ったんだけど……なんか考えてたらごちゃごちゃしてきて……。」
「ま、まぁ、そうだよね。私はこの時代の人です。」
「そうだよな!」
ほっと安心した笑顔を向けられる。
あの男に話してみたらよい、と言った政宗の言葉を思い出す。
少し怖い、けれどもう誤魔化せない。
「伊達と真田がお邪魔したのもこのお部屋?」
「あ、それは一階の客間。といっても客とかあんま来ないから俺のくつろぎスペースにしててさ。第二の部屋って感じのとこ。」
「そうなんだ。あの時はありがとね。」
「本当に、伊達政宗と真田幸村だったんだよな……?」
「そうだよ。私ね、霊感があってね、大学に、北条氏政の霊がいて、知り合ったの。」
「え。」
これまでに自分の身に起こったことを簡潔に話す。
は相槌を打ちながら、最後まで話を聞いてくれた。
一通り話し終えると、は顔を手で覆った。
「え。」
何という感情で顔を隠すのかわからず、は困惑する。
「車の掃除……しなくてよかった……。」
「なんで?」
「伊達政宗も真田幸村も……大好き……。」
「あ、そうなんだ……。」
「もう掃除しない。」
「だ、大丈夫なのそれ⁉︎」
そういうパターンもあるのか、とは学習した。
「えっ、でも霊感て、ほんとに見えるの?」
「うん……。」
「なんか俺の部屋にいたりする⁉︎」
は本棚に目を向ける。
それだけでは怖がり、少しのけぞった。
「怖くないよ。あの、ずっと、三毛猫ちゃんがいて。」
「え。」
も本棚を向く。するとその三毛猫は本棚から降りての隣で座り、彼を見上げる。
「そこにきたよ。」
「怒ってる……?」
「そんな様子はないけど。あくびしてるし。」
「……。」
「背伸び〜かわいい。あ、お尻の方……黒のハートマークみたいな模様あるよ。家族?」
「フミ……。」
「フミちゃん?」
「家きてからずっとクッションとか布団ふみふみしてたから……。」
そう言うとがボロボロと涙を流し始めるのではギョッとする。
「フミの体調がやばいとき、俺剣道の合宿があって、キャプテンだったから行かないわけにはいかなくて……そのまま、死んじゃって……」
フミと呼ばれた猫は、泣き出したを心配するかのように前足でたしたしと太ももを優しく叩く。
「俺がしんどい思いしてるときいつも寄り添ってくれてたのに、俺はフミがしんどいときそばにいれなかった……」
部屋にあったボックスティッシュを差し出すと、数枚一気に取って顔に当てる。
フミは立ち上がり、の周りをうろうろし始めた。
「……泣いてるをフミちゃん心配してるっぽいんだけど。」
「いらねぇよ!俺にフミの心配させろもう!俺は大丈夫!」
その声に反応するように、ニャア、と鳴いた。
「え、なに?鈴の音した?」
見えない人にはそう聞こえるんだ、とは知った。
「フミちゃんの鳴き声。」
「ど、どこ?今……」
「後ろで、香箱座りしてる。」
「そっか……。定位置だ。」
ふぅと深呼吸をして心を落ち着かせ、を見る。
「ほんとなんだな。信じる。」
「ありがと。」
「なんか、怖くないし。ホラー映画苦手なんだけど。結構、穏やかなもんなんだな。」
「普通に漂ってる感じなんだよね。人間に危害加えられそうなものってあんまり見たことない。」
この辺りで一番古い霊はおそらく氏政だ。
存在年数と霊としての力は比例しているように思える。
一番の怨霊があのお爺ちゃんだもん、この辺りは平和だよ。
「しかし、これから、どうなるんだ?また戦国時代に行くんだよな?」
「うん。とりあえず準備して、乗り切らないと。」
「戻ってこれるんだよな?」
「た、たぶん……。氏政爺ちゃんも調べてくれてると思うから、聞いてみるけど。」
「あのさ……」
「なに?」
「伊達政宗様と真田幸村様にサイン貰えないかな……?」
「…………………………。」
調味料とかサインとか、男って楽観的だな……と主語が大きいことを考えてしまった。
「やばい俺知らなかったとはいえ、伊達政宗様と竹刀を交えてしまった……。ふふ……。」
「……生きててよかったよ。」
「そんなに大事だった⁉︎」
目覚ましが鳴り、が慌てて止める。
一階から、行ってきます、と声がした。
は立ち上がり、ドアを開けて、いってらっしゃい!と叫んだ。
「あら起きてたのー?ご飯ちゃんと食べなさいねー。」
「はーい!」
に振り返り、風呂の準備してくる、と言い残して一階に向かう。
フミはを凝視する。
「のこと守ってくれてるの?」
ニャア、と高い声で鳴く。
猫語はわからないな、と苦笑いしてしまう。
階段から足音がして扉に視線を向ける。
大きなタオルを持って、が入ってくる。
「家誰もいないから、下降りて大丈夫。はい、タオル。」
「ありがとう。」
「パンはバターと苺ジャムな。母さんがワカメスープと卵焼き作ってくれてた。」
「いただいていいの?」
「おもてなしさせて。」
「じゃあ、いただきます。」
風呂場を案内され、女性もののシャツとスウェットのパンツを差し出される。
軽くシャワーを浴びてドライヤーを借りる。あまり待たせてはいけないか、とある程度乾いたら脱衣所から出る。
はトーストとスープ、卵焼きのほかにヨーグルトも出してくれていた。
「え、こんなに……」
「実家の強み。てかヨーグルト賞味期限明日……よかったら食べて。コーヒーはカフェラテにする?」
「カフェラテがいい!ありがと!」
机に座って手を合わせて、いただきますと二人揃って声に出して食べ始める。
「、今すっぴん?」
「えっ、そ、そうだけど……」
「肌綺麗だな。」
「フゥン?ありがと」
「そんな返事?照れてくれるかと思った。」
「政宗さんの右目、片倉小十郎氏のお野菜のおかげかもね……。」
「えー!野菜作ってんだ!って、なんか楽しそうだな。戦国時代って、その、危ない、よな?」
「うん、まぁ……」
「なんか力になれないかなー。俺も一緒に行くってのは?」
「だ、だ、だめ!巻き込めないよ!それになんか、私を狙ってくるみたいだから、行けるかわかんない。」
「そっか……。」
サク、とパンを齧る。
はスープを飲みながら何か考えるような真剣な顔になる。
「優しいね。」
「ん?」
「めんどくさくない?」
「あ?俺、の中でそんなキャラ?」
「えっ!あ、いや、薄情とかは思ってなくて!」
「うーんと、俺と初めて話した時のこと覚えてる?」
「学科の、飲み会?」
「そ。俺幹事やらされて。」
「あ、そうなんだ!ノリノリだったから立候補したのかと思った。」
「でしょー。集まり悪かったらどうしよー盛り上がらなかったらどうしよーって心臓痛かったわ。」
「お酒飲める人飲めない人に配慮してくれて参加しやすかったよ。」
「わ、嬉し!」
へへ、といつもの陽気な笑顔を向けられる。
「盛り上げてたら、格好悪いことに飲み過ぎて気持ち悪くなって、んなこと言えねー空気だし、電話出るフリして席立ったら、、こっそり来てくれたじゃん。びっくりした。」
「ちょっと顔色悪かったから気になって。」
「居酒屋のあの照明で良く判るよな……。大丈夫?って声かけてくれて、背中撫でてくれたじゃん。嬉しかった。一度も気持ち悪ィーとか言わなかったのに、察してくれたんだって。」
「え、いや、普通じゃない……?」
「俺は初めてだったよ。下心もなくさ、本当に心配してくれて。それで……気になるように、なって、その。」
の顔が赤くなる。
はカフェオレを飲みながら続きを待っていたが、その反応にハッとする。
これは、告白される流れだったりする……⁉︎と驚いてしまう。
「好き、だなぁと、思って。」
「あ、ありがと……。」
「ごめんな、こんなときに。でも、言いたかった。昨夜からずっと……何で、俺何も伝えてなかったんだろって……。」
告白なんていつでも出来るって考えて、と一番仲良いの俺だし、は俺を選ぶだろって、余裕しかなかった日々をは思う。
答えがなくとも、伝えることができたことに安堵してしまう。
「だから、面白半分で首突っ込もうとしてるわけじゃないから。あの、強く見目麗しく男前な精神を持った伊達政宗様に勝てる自信は……ちょっと、今は、ないんだけど!」
は、私のことより伊達政宗の方が好きそうだな、と感じてしまったが、それは口にしないことにする。
「返事、いつでもいいから。」
「ねぇ、二人でご飯行こって約束したよね。」
「うん。」
「今日の夜、行かない?」
「もちろんいいよ。何食べたい?」
「焼肉。」
「焼肉?恋人みたいなとこ誘ってくれるじゃん。」
「戦国時代、あんま肉ないの。」
「普通に肉に飢えてるからかよ。」
はは、とが笑う。
それからは戦国時代の話で盛り上がった。
の車に乗り、家に寄って急いで着替える。
そして大学へ行くと、駐車場で車から降りるところを友達に見られてしまった。
よかったじゃん!おめでとう!と言われてしまい、途中で拾ってもらっただけと言っても信じてもらえなかった。
「……。」
行きたい大学へ行けて、やりたい勉強ができて、理解してくれる恋人がいたら、充実した人生だ。選ばない理由なんてないんじゃないだろうか。
「…………。」
自身の手に触れてしまう。
政宗が愛おしそうに握ってくれた、あの感触を忘れたくない。
帰りにと待ち合わせ、一緒に歩いていると友達にらぶらぶじゃんとからかわれる。
はやめなさい、と止めてくれた。
「あーゆーノリは高校生で辞めてほしいわ。」
「でもあの子だけじゃない?」
「そうだな。まぁそのうち飽きるか。」
焼肉店は食べ放題の店をが予約していた。
駐車場の空きを見つけられる気がしないと言うについていく。車は家に泊め、歩いて駅に向かい、繁華街へ移動する。店に着くとすぐに中に案内された。
「好きな肉をどうぞ。」
「カルビカルビカルビカルビカルビカルビ。」
「どんどんいこう。」
俺も食べる〜とカルビを二人前頼む。
「ウワーすっごく、にんにくのタレで食べたい!」
「大丈夫だよ。」
キスするわけでもないし……と言いそうになり、口を紡ぐ。まだそんな踏み込んだ冗談を言える空気ではない。
「肉とニンニクの香りを纏って帰ろうじゃないか。」
「あ、だから車はやめたんでしょ〜!掃除したくないから。」
「いやいやそんなわけ。運転席と助手席に消臭スプレーと車用の空気清浄機で問題ない。」
「後部座席には徹底して触れない方向なんだ……。友達乗せなくなって関係おかしくなるとかやめてね。」
「お二人が座った座布団とクッションはすでに回収し保管しています。」
そんなに……?とはぱちぱちと瞬きが速くなってしまった。
店員が肉を運んできて、テーブルに置かれた瞬間、は肉だー!と声をあげてしまった。
「ちょっと安心した。」
「え?」
「いや、の中で、戦国時代で生きたいって選択肢もあるのかなあって考えてたんだけど、その調子なら今のがいいだろ?」
「あ、えっと……。」
「食べ物は大事だろ。お菓子とかもないだろうし……。」
「確かに、そうだね。」
顔に笑顔を貼り付ける。
「……そんで、サインをもらう件なんだけど」
「あ、それ真面目に取り扱わないといけないやつ?」
食べ放題の焼肉を満腹になるまで食べて、はごきげんで家に戻った。
「ただいま。」
部屋ののベッドには氏政が寝転んでた。
「爺さん。」
『む…、おお、か…』
ゆっくりと起き上がり、目を押さえながらこっちを見た。
『無事なのは気配で察しておったわ。』
「あの、私、爺さんとゆっくり話したくて……」
『もう心配せずとも大丈夫じゃ。わしに任せい。』
「な、なにが?」
氏政はふらふらと起き上がり、窓から空を見上げた。
『危険な目にあわせてすまない。しかし、ワシもまたまだなようでな……。もう少しだけ我慢してくれぬか。もう少し、だけじゃ。』
「もう、少し…?」
爺さんはもう知ってるのか
終わりにする方法を
『はここの住人じゃ。それ以外のなにものでもない。』
「……政宗さんに、またねって、言っちゃった……。」
『そうか。正しい方向に戻るだけじゃ。次こそ、別れの言葉を伝えてこい。』
こちらを振り返った氏政の顔は、優しく微笑んでいた。
『次、風魔に会ったら、すまなかったと……いや……ありがとうと、伝えてくれ』
何も言えなかったから、と呟いて、氏政は消えた。
「次で……終わり……?」
はペタリと座り込んでしまった。
「え……」
ベッドの隅に残された政宗と幸村の服を凝視してしまう。
何度も思ったじゃないか、私はあちらでは異質の存在なんだって。これで良いんじゃないか。
「やだ……どうしよう……いやだよ……。」