貫きたかった決意編 第2話


ご飯を食べた後は横になってひと眠りした。
物音が聞こえて目覚めると、知らない男の人がの居る牢を覗いていた。
話かけようとしたら行ってしまった。

「……。」

きっと、品定めだ。

「大丈夫……。」

外に出られるなら、逃げる機会はたくさんある。
このままここに居るよりはいい。

「顔色が悪いな。」

いつの間にかうなだれていた頭を起こすと、義姫が立っていた。
背後には若い男の人が一緒だった。
立ち上がって、義姫に近づく。身体が重くて、鉄格子に掴まった。

「なぜこんなことをするか不思議か?」
「私を怪しんでいますか?」
「そんな感情はどうでもよい。」

義姫もに近づいてくる。
至近距離で視線を合わせた。

「良く判らないものがいるというのが気持ち悪くての。」
その気持ちは、判らなくもないな、と共感してしまう。

「安心せい。外に行けばそのうち政宗がお前を見つけてくれよう。」
「ならばなぜ……」
「辱められ汚れたお前を、政宗は見つけよう……」
「……。」

この人は何も知らない。
私には小太郎ちゃんがいる。
大丈夫……

「そのお前を政宗はどう見るであろうな。」

私は……大丈夫……

「母上。」

ははうえ?

はその言葉を口にした男を見た。
先程から大人しく立っていた人。

この人は……

「どうした?小次郎…」
 
政宗さんの、弟だ……!

「その者は、何者なのです?」
「どうでもよいわ。そう思わぬか?」
義姫の言葉が納得いかない様子で、小次郎は口をきつく結んだ。
「妾にも詳細は判らぬよ。しかし小次郎、政宗の傍にいた女が一人ここへ来た。妾は、その事実だけで良いのよ。この娘を、こうしたいと思うのよ。本当に気持ちが悪い。」
「では、なぜ俺をここに?俺にこの娘を処罰しろと……?」

義姫がの髪を指で絡めとった。
は身を引く事もせず、この二人の会話をじっと聞いていた。

「ふむ、お前が望むなら、この娘で遊ぶのもまた良い。」
「あ……!!」

義姫は指で弄んでいたの髪を突然握って引っ張った。
小次郎にどうする?と問いかけた。

「……そのような、兄のお下がり、要りませぬ。」
「そう申すな。良く見ろ、小次郎。なかなかこの娘、顔は整っておる。妾は好きじゃ。」
「……!」

はその言葉に驚いた。
 
自分の、顔……

——……まあ俺は、最初からお前の顔は好きだ。顔は殴らせねぇよ。

政宗が言った言葉を思い出してしまう。
政宗が気持ちを自分にぶつけてきてくれたときの言葉。

「……。」

ああ、目の前の人間は、本当に政宗と血が繋がっているのだと、再認識してしまった。
自分は、政宗の親に、このような仕打ちをされているのだと、頭が理解してしまった。

「は、離して、下さい……。」
途端に、怖くなった。
自分が一番恐れているのは、政宗に嫌悪感を感じてしまうことだった。
似ているから、似ていると感じたくなかった。

小次郎がの牢に近付く。

「!!」
は咄嗟に鉄格子から手を離した。
義姫も一歩下がり、小次郎に微笑みかける。
小次郎は鉄格子を足裏で蹴り、不快な鈍い音が響き渡った。

「兄に気に入られてるからといって、貴様のようなものを俺は認めてはいない。」
「……小次郎様……」
「何しにここへ来た!?」
「わたし、は……」

小次郎が思い切り自分を睨みつけている。
どうして、こんなに嫌われなければならないのだろうかと、疑問に思ってしまう。

「政宗様の、母君にお会いしとうございました。そして、勝手に、尋ねてしまったのです。政宗様は、関係ありません!」
「それが気に食わぬというのだ!母に、どのような思いをさせるか、貴様には何も想像できまい!」
「っ……!!」
「兄が戦に行ってしまって暇だったか?ふざけたことを……!」

思い切り小次郎が怒鳴り、その体には震えるほどに力が入っていた。

「兄の存在は、母上を悩ます!苦しめる……!」
「そんな……」
「判っている。兄は立派な領主だ。しかし俺は、それだけは、許せぬ。この地に踏み込むことを許せぬ。」

小次郎様はお母様の味方で、政宗のことを、一緒になって憎んでいるのだろうか……?
お父様を殺すことになってしまったから……

「これ以上、貴様が兄の名を口にすることも許さぬ。」
くるりと背を向け、小次郎は行ってしまった。

「……。」
「そういえば、川中島で戦があっての……。」
義姫は何もなかったように静かに話し始めた。
「戦……。」
過去形。
もう終わったのだろうか。
聞きたい。

「妨害があり、政宗はそこに目をつけたらしくな。近々、伊達、上杉、武田は三国同盟を組むそうだ。」

妨害とはなんだろう。政宗さんが仕掛けたのかと考えたが、それでは同盟を組む、ということにはならないだろう。

「まぁ、これはこれで目出度い。」
「……はい。」

政宗さんは、どうやって同盟を持ち掛けたんだろう。
それは政宗さんの口から聞きたい。
いたずらが成功した子供のように、にっと笑いながら話してくれるだろう。

「……政宗を、呼ぼうかの。」
「……え?」
「そうだ。祝ってやろう。久しく会っておらぬし、あの子は喜んでくれよう……。」

は目を見開いてしまう。
言葉が心に重たく響いてくる。頭が痛くなる。

「手料理を振る舞おう。そうだ、月が満ちる夜がよい。」

始まる。

「小次郎も、喜ぶであろうな……。」

あの事件が始まる。

義姫が、毒を盛る。

「楽しみだ。」

美しい笑みを浮かべたまま。義姫が去って行く。

義姫の背が見えなくなった後も、視線を動かせなかった。
涙が一筋流れる。
なんて、優しい笑みだったんだろう。
なんて穏やかな声だったんだろう。

義姫は、私のことは、憎んでいない。
憎んでくれない。

義姫の頭には政宗さんへの思いしかない、それだけ。
それだけで人を売れる。

それだけがあの人を動かしている。

「違うじゃん、小次郎様……。」

胸が苦しい。
義姫の想いが、悲しい。

「悩みも、苦しみも、すでに、通り過ぎてるでしょう……。」

私にはどうにも出来ない深い想いなんだと伝わっていた。
私よりもずっと義姫の方が冷静だろう。
義姫は何もかも知っているのだろう。

片目を失ったのが、仕方ないことなのも。
政宗さんが父を撃ったのが、苦渋の決断だったことも。
知った上で憎んでいる。


「どうしようも、ないじゃない……。」

時間が経ちすぎている。
自身の事も、政宗さんのことも、義姫はしっかり見えている。

自分の子なのだと、憎んでいても自分の腹から生まれた子なのだと判っている。


「かける言葉が、見つからない……。」


義姫は政宗さんを愛している。

愛して愛して


殺したがっている。









どうしようどうしようと考えながら過ごしていたら頭が混乱した。
考えるのを止めてみたら眠くなった。

いいじゃないか。
事件には続きがある。

あの事件があって、政宗さんは確かお母さんと仲直りするはずだ。
私が介入しちゃいけない。
これも、政宗さんを成長させるものに違いない。
曲げちゃいけない。
私に、曲げる事ができるのかどうかもわからない。

傍にいよう。
政宗さんが毒で苦しむ間、私はずっと手を握っていよう。
名前を呼び続けよう。

「……あ。」
だめだ。

月が満ちる夜だといっていた。
私は、居ない。
もう、来れないかもしれない。

「どうしよ。」

爺さんに、言えばよかった。
聞けばよかった。

戦国時代、好きだって。
やめたくないって。
何をすれば終わってしまうのか、教えてくれって。

「傍にも、いられない……。」

辛い。

「政宗さん……」

会いたい。今すぐ会いたい。
けど怖い。

「……。」

ここに来て、何日経ってるんだろう……。







「!!」
足音がした。

自分への訪問者だと、何となく感じ取った。
予想通り、自分の牢の前で止まり、ガチャリと南京錠が外された。

「出ろ。」
「……。」

立ち上がると、ふらりとよろけた。
足の筋肉が衰えている。
ストレッチくらいはやっておけば良かったななどと思った。
鞄を持って胸の前でぎゅっと抱きしめる。
これは持っていきたい、と目で訴えると、取らねぇしいらねぇよ、と言われた。

「よくわかんねぇおもちゃばっかりなんだろ?小次郎様に聞いたぜ。そんなに大事にする意味がわかんねぇな。食い物すらないんだろ。」
「……。」
カロリーメイトは食い物に見えなかったのか……?政宗さんの刀は目にしなかったのか……?と首を傾げた。
とりあえず奪われないことに安心して、背負った。


 



外に出ると、馬が用意されていた。
背後を振り返る。洞窟の中に作られた牢屋だったのかと知る。

「取り引きはここか。」
「まあ、そんなに時間はかからんな。」

地図を広げて話す男が二人いた。

「お前はあっちだ。」

を外に出した見張りが指差す方向に視線を向けると、馬に乗った男がいた。
頭にバンダナのようなものを大きく巻き、目も半分覆っていて顔はよく判らない。
近付くと、手を差し延べられた。
その手を取って引かれるまま、その男の後ろに乗った。
「……。」
しばらくはこのままでいよう。
逃げるにしても少しはこの場所から遠ざからないと。

「よし、行くか。」
この男達が何なのかは知らないが、リーダーらしき人間が声を掛けて、馬が走り出した。





馬に乗るのが久々で足も辛くなり、途中、道を確認するために止まった時に、足を揃えて座らせてもらった。
これはこれで腰が辛いが、止まる度に向きを変えて耐えた。
先頭を走る男がわずかに振り向いた。
「あと少しだな。」
そんな声が聞こえた。

「……!!」
着いてしまう。逃げなきゃ。

そう思うが馬から飛び降りて無事なわけがない。
でも何もしなければ私はこのまま……

「あなたはこれから売られます。」
突然、男が話しかけてきた。
聞いたことがある声に目を見開く。

「どうして……?」
「取り引き相手は、あなたを買ったら一度町に寄って今日は一泊。あなたと一緒に一般客に紛れ込んでね。」
の問いには答えず、ただ淡々とこれからのことを話し続ける。
「そこに役人が来ます。」
「え……。」
「甘えてはいけません。役人からも逃げて。」
「は、はい。」
「振り向かずに、東へ。すぐに大きな町があります。そこで休んで。それまで、耐えて、走り続けて。」
出来ない、という言葉を発する事は許されない声色だった。
そうしなければ、逃げられない。

「あなたは、兄の傍に……お願いします。」

僅かに振り向いた男は、僅かに口角を上げた。

「あなたのことを俺は知らない。」
「小次郎様……。」
「けど……あんな寒くて汚い牢屋で弱音も吐かず助けも呼ばずに頑張ったそうで。ご飯も綺麗に食べたとか。ふふ、強いですね。」
「す、すみません。」
「謝ることないです。安心して怒鳴り散らせました。」
「ちょっと……。」

小次郎様は父親似なのだろうか、政宗より目元も輪郭も可愛らしい顔立ちだった。
しかし発する言葉には生意気だなぁ〜と感じてしまって、緊張が解れて、微かに笑う。

そしてまた泣きたくなって来た。
この人も、知っているんだ。

「いつだったか、母上が兄のことで父とすれ違い、上の空になっていたときに、兄のせいか?と問うたことがありました。そのとき母は、違うのだと俺に言いました。」
「……?」
「兄は悪くない、そんな事を言ってはいけないんだ、そう、俺に言いました。あの時の母は、苦しい思いをしていたのに。」
「……。」

おそらく、病を患った時。
右目を失った時。
本音を自分の心の中にしまい込み、我が子に自分の真っ黒な思いをひたすら隠していたのだろう。

「そのとき確かに母は兄を擁護した。俺は、幼心に感じました。俺が、兄を憎めば、母の気持ちは、軽くなるんじゃないかと。俺が、母の暗い思いを全て奪ってしまえば、兄と母は、いつか、仲直りするんじゃ、ないかと……」
「あなたは……」
ずっとずっと、自分の心を殺してきたのか。
「だから、俺は、母の前で、兄を憎みました。時々、本当に兄が悪魔のように見えるときもありました。今更、何を言っても、言い訳ですが。」

小次郎がどんな思いでそんな役に徹してきたのか、には想像できなかった。
いつか仲直りしてしまったら、小次郎の望みが叶ってしまったら、孤立するのは、小次郎なのに。
政宗を批判するような言動をし続けてしまった小次郎が、政宗の統治する国で幸せに生きていける保障は無いのに。

「俺は、兄が、好きでした。憧れていました。けれど、もう俺は、兄に甘えることなど、出来ません。」
「そ、そんなことない!政宗さんなら、なんとかしてくれます!」
「俺には、兄のような才もない。丁度いい」
「政宗さんを信じてください!」
「伊達家の悪となり、居なくなるのは、俺がいい。」
「それは、それは絶対違います!」

どうしてこんなに苦しんでるんだろう。
どうしてこんな思いをしなければならないんだろう。

「いつかきっと、兄は母上と心が通じ合えると信じてます。その日が来れば、俺は満足です。まあ、その時俺はまだここに居られるかなど、判りませんが。」
「そんなこと考えないでください‼︎」

が大声を出した瞬間、小次郎は乱暴に馬を止めた。
ざざっという大きな音が出て、の声はかき消された。

「どうした。」
「すいません、なんか小さな動物が横切りまして、驚いちまった。」
「そうか。」

は驚いて小次郎にしがみついてしまった。
二人の様子を見た男はにやりと口元を上げた。

「商品にゃ手を出すなよ?」
「判ってますよ。」
小次郎も笑顔で返した。

この人は、私を助けるために、ここの集団に一時的にでも入ったのか。
取引が済んだら逃げるつもりだろうが、心配になってしまう。

「小次郎さま。」
「はい。」
「ありがとう、ございます……。」

今だけじゃない。
ずっとずっと、自分を偽っていた。

小次郎だって泣いたはずだ。
小次郎だって、深く悲しんだはずだ。

兄が病に倒れてしまって、
右目を無くしてしまって、
母が、自分しか愛してくれなくなってしまって、
父が、兄ばかり見るようになってしまって、

兄には、喜多がいて、小十郎がいて、

その中に、入りたかったはずだ……

みんなで笑っていたかったはずだ……!


(……どうして)

この人の思いは、ただ、家族みんなで、仲良く在りたいって、そんな、皆が思うような、当たり前の願いだったはずなのに。
こんなに優しい人なのに。
どうして、この人が?

「忘れないで。」

はしっかり耳を傾けた。
小次郎という人間のことを知れるのは、今しかない。

「あなたは兄の味方で、俺の敵です。」

は躊躇いながら、ゆっくりとかすかに頷いた。









取り引き相手は二人組だった。
小さな袋いっぱい詰まったお金では買い取られた。
仕事が終わって男達が立ち去るとき、はつい小次郎に目を向けてしまった。
彼は悪役を演じきるだろうと、私はなぜこんなに臆病なのだろうと考えたが、小次郎も僅かに振り向いてくれた。
それだけで、恐怖を抑え、反抗する勇気がでた。

小次郎が言った通り、取り引き相手は街に寄った。
一人は中年の男、もう一人は、二十代と思われる若い男だった。
は若い方と痛いくらいに手を組まされて歩いた。
恋人のフリをしながら、逃げないように、強く掴まれていた。

「なーんか、賑わってるな……。」
中年の男が町をきょろきょろ見回しながら声をだした。

「兄貴、ちいせぇけど祭があんですよ。親分が言ってたでしょ。それに紛れて宿とったんすわ。」

さらに、それに紛れて役人が来るのだろう。
この観光客に紛れて逃走しなければならない。
出来るかどうか不安だが、やるしかない。







宿に着いて、部屋に行くと、三人で一部屋だった。
は窓がある壁の隅に座り込む。リュックを背負ったまま、いじけた子供のように丸くなった。

「良かったのぅ、嬢ちゃん。相手は金持ちだ。食いもんには困らんよ。」
中年の男がにやにやしながら私を見る。
気持ちが悪い。

「……。」
「反応うっすいなぁ……。愛想笑いでもしな。」
男はつまらなそうに頬杖をついたが、はっとして荷物を漁り始める。
何を取り出すのかと思えば、手に持ったのは剃刀で、は目を見開く。

「……え?」
「下の毛、剃らねぇとな。」
「!」

本当に、商品扱いだ。

「兄貴、だめですよ。」
「あ?」
「自分でそういうことはしたい変態だって、親分言ってたでしょ。」
「あー……そうだったか……。」

なんて世界なんだ、と思う。
実際に売られていく女性もいるのだろうと考えると怒りが込み上げる。

「しっかりして下さいよ、兄貴。」
「仕方ねぇだろ。最近忙しかったんだからよ……。」

一体何人の女の子を、こいつらは売り飛ばしたんだろう。
ぎりっと歯ぎしりをして耐えた。

シナリオ通りにしなきゃ。
ここで暴れたら、台無しだ。

しかし、いつ来るかもわからない役人を待つのは辛いものがある。
はずっと緊張していた。
部屋を見渡す。

役人が、来たら……
襖を開けて来るだろうし……窓から逃げるのは……
足場が少ない……

「……。」
ごくり、と唾を飲み込む。

なるべく足場を辿ってから降りて着地をしても、骨折するかもしれない。
怖い。

怖いけど、逃げなきゃ……

なぜ、逃げろ、といったのだろう。
しばらく身動きが取れなくなるからだろうか。

いや、自分は売られる身だが、役人が同情するかどうかも判らない。
金のためならなんでもする女、と、そういう目で見られるかもしれない。
今は人権尊重など、求めるほうが間違ってる。
どんな理由で処罰されるかもわからない。
ここは、なんとしてでも逃げなきゃ。


「!」
どこからか、かすかに女性の驚く声がした。

「なんだ?」

来た……

数人の足音が迫ってくる。

「失礼するよ、お客さん。」
ばあん!!と勢いよく、の予想通りに襖が開けられた。
立派な羽織を着た男が三人に部屋に入ってきた。

「な、なんですか……。」
「ちいとあんたらに話が聞きたくてね。」
「……。」

役人、なんだろうが、想像以上にガタイが良く目つきも怖い。
「!」
ははっとした。
怖がっている場合じゃない。
逃げなきゃ……

窓を見る。
「あ!」
神輿が出ている。

そうだ、近くを通るタイミングで飛び降りて、そこめがけて……

「……って」
出来るわけない!
私は……これから……

「走り続けなきゃならないんだー‼︎」

は青春っぽい叫びをして、近くにあった台を役人に向けて力の限り投げた。
それと同時に急いで走り出し、は部屋を飛び出した。

てめえ!とか、待ちやがれ!という叫び声が後ろからしたが、は振り向かなかった。









外に出ても、ただ走った。
足が、自分の足じゃないみたいだ。
震えそう。
転びそう。
リュックが重い。

「怖いっ……!」

祭りを楽しむ人の群れでは目立ってしまうから、人通りの少ない暗い道を走った。
観光客になりすます余裕もなかった。

「怖い……怖いよ……!!」

あの二人を捕まえて、一件落着、になっているのかもしれない。
でも、私は追われているかもしれない。

「そうだ、東……」

太陽を見ようと、周囲を見回した。
右側に見えた。

「こっち……?」
咄嗟に判断してしまった方向へ走ろうとしたが、足が止まってしまった。

「だめ……もう、走れない……」
まだ町も出れていないのに。

「むり、だ……」
「そうですか?」
「え……?」

独り言を呟いたはずなのに、返事が返ってきた。
驚くくらい、すぐ近くから。

「!!」
の腰に腕が回され、足が宙に浮いた。

「誰……?」
全身黒い衣装を身にまとっていた。
忍だ。

「運のないあなたへ同情です。」
「え?」
「わざわざ、あの方に仕える忍に見つかるなんて。」

あの方とは、義姫のことだろうか。

忍が勢いよく飛び上がる。
「まあ、あの逃げっぷりはお見事でしたよ。侵入せずに済みましたし。」
「………。」
はどんどん過ぎる周囲の景色を見回した。
後ろを見れば、先ほど居た町が小さく見える。

「ありがとうございます……。」
「私の意志ではございません。」

自分で、何とかしなければならないのだと、思ってたのに。
最初から、こういう計画だったんだ。
見張りを、付けていてくれたんだ。

「そう、伝えて、ください……。」

売り物なら食事を提供する。
売り物なら傷付けない。
自分が憎めば、他の人は大して憎まない。
荷物の中身はおもちゃばかりと投げ捨ててくれた。
そうして私のことを守ってくれた。

「小次郎、様に……」