貫きたかった決意編 第8話
連れ立つ家臣は最小限にして、政宗の一行は列を作り山道を進む。
木々の間からは美しい青空が見え、ゆっくりと白い雲が流れる。
小十郎は政宗のすぐ後方を走っていたが、馬の歩みを緩め、1つの籠に近づいた。
「乗り心地はどうだ?女中さん?」
「なかなか、快適だよ~。」
の元気の良い声が聞こえてくる。
最初、酔ったらどうしようと不安になっていたので、小十郎は度々の様子を伺っていた。
政宗の身の回りの世話をする役にしていれば、政宗とが一緒に並んでいても、怪しむ人間は居ない。
「良い旅に、なりそうだな。」
生まれ故郷をに見せれる政宗は嬉しそうだ。
は質素な着物で地味な化粧をして大人しくしているので、何も問題は無いだろう。
政宗が、にべたべたしなければ大丈夫。
そして何も考えずににくっつくような主ではない。
「義姫様からお褒めの言葉が聞けたら、本当に……。」
良い日になるだろうと、小十郎はゆっくり微笑んだ。
「片倉殿ー、にやけすぎにやけすぎ。」
「成実殿。」
政宗の横を走っていたはずだが、スピードを緩め、小十郎と併走を始めた。
「良い天気だしねー、なんだか思いっきり速く走りたい。」
そう言うと、僅かに小十郎の前に出る。
「歩調は合わせて頂かないと乱れる……。」
呆れたようにため息をつき、少し馬を操り、成実の横に並ぶ。
「楽しむなら、向こうに着いてからお願いします。」
「片倉殿は気づいてる?」
「何をですか?」
目線は前を向いて、笑顔を浮かべながら、成実は言葉を発した。
「ちゃんが、動くよ。」
小十郎にはなんのことだか全く見当がつかなった。
「俺もよく判んないけどー。」
「は、はあ……。」
「何か、起こりそう。」
そう言い終わるとすぐに、手綱を操りさらにスピードを上げる。
政宗の元へ行き、談笑を始めているようだった。
成実は本来、城に残る予定だった。
元々乗り気ではなかったし、成実が青葉城に残るなら安心して城を任せられると政宗も考えていた。
しかし、昨夜、やっぱり俺も行くと、言い出した。
笑顔で、懐かしいし、と、いつもの調子で、何も変わりなく。
「が、動く?」
のいる籠に視線を向ける。
小太郎もいつも通り、と一定の距離を空けて移動している。
後で意味を聞かなければ、と思う。
「小十郎、水~。」
「あ、はい。」
主の声にはっとし、腰に下げていた竹筒を手に取る。
「どうぞ。」
「Thank you」
受け取って、一口含むとすぐ返された。
「ah~…」
政宗は眉間に皺を寄せて不満そうだ。
「ぬるかったですか?」
「NO...そうじゃねえ、そうじゃねんだよ…」
政宗がちらりと脇道に目を向ける。
「おい小太郎!連れて来い!」
ぱちんと指を鳴らすと、木の茂みが一瞬揺れる。
それと同時に政宗が馬を蹴った。
「待ってください!」
小十郎の制止の声も虚しく、政宗の馬は全力で走り出し、小太郎はを籠から連れ出し、抱えて、政宗を追った。
「は、早く行きたいのは判りますがあああああ!!」
大人しく進むのに飽きてしまった主に叫ぶ。
小十郎は予測出来なかった自分が情けなく、頭を掻いた。
「俺が指揮執るからさ、片倉殿は殿達追いなよ。」
そんな小十郎の視界に、にこっと笑う成実の姿が入る。
任せて任せて、と子供のように笑っているが、こういう時の成実が頼りになるのは十分承知している。
「お願いします。」
小十郎も馬を勢い良く走らせた。
「気をつけてねー」
のん気な声が耳に入る。
政宗が暴走し、は巻き込まれ、自分は追いかける。
いつも通りの関係だ。
ずっと続いていくような気がする、日常だった。
「見えてきたぜ、米沢城だ。」
「うん、見えた!」
「……。」
小太郎に脇に抱えられながら、小高い丘から城を見下ろす。
「着いたらすぐ案内してやるからな。」
「お願いします。」
表情も声も明るい政宗に、も笑顔を返す。
「小太郎ちゃんは、着いたらどうしよう?」
「自由に行動してもらって構わねえよ。」
つまり、の後ついて回っても大丈夫だろう、と足した。
そう言った後また馬を走らせようとしたが、ふと何かを思いつき、の方を振り返る。
「邪魔はしねえだろうから、いろいろ見られるかもしれねえがな?」
意味を理解するのに時間がかかる。
そして頭に言葉が思い浮かぶより先に、顔が赤くなり、動揺して口をぱくぱくさせてしまった。
手を繋いだり、くっついたり、そんな行為でさえ想像するとどうしたらいいかわからなくなる。
「………。」
そして、小太郎が政宗に無言のプレッシャーをかける。
が抵抗するなら話は別だ、と。
「……お前は何?番犬?」
俺だって無理強いはしねえよ!と叫ぶとともに馬を走らせ、一気に丘を下っていった。
「政宗さんたら、あんなに飛ばしたら危ないよ……。」
「……。」
の表情は柔らかかった。
このような目が、愛おしいと思う人間を見る目なのだろうなと、小太郎が確信できるほど。
「……。」
再確認した。
そうだな、今この二人は
「小太郎ちゃん、私たちも向かおう。」
「……。」こくり
小太郎は、とん、と軽く地を蹴った。
そして政宗を追って高速で進んでいく。
「ちょ、小太郎ちゃん、速い速い!」
徐々に勢いをつけ、政宗が見えたら一度、木に足をかけスピードを調節する。
「お?んだよ追いついたのかよ速ェな!」
政宗が腕組をしたまま二人を見上げる。
「ちょ、小太郎ちゃ……!」
「………。」
「wait……!!」
そして小太郎は政宗の頭上すれすれを通り過ぎる。
を政宗の元へ落として。
「わあー!小太郎ちゃんに落とされたー!」
「叫ぶな叫ぶな!俺が支えてんだろが!」
政宗は驚いたようだったが、下手に馬を止めようとすればが地に叩きつけられると咄嗟に判断し、小太郎の技術を信じた。
うまく抱き留め、怖がるを必死になだめている。
「…………。」
難しいことは、考えなくて良い。
は今、好きな人と両思いなんだ。
「政宗さんーもっとしっかり支えてよ不安定だよぎゅっとしててよー‼」
「Hey……そういうのは日が落ちてから言ってくれよ……信用しろよこのやろう落とすぞ。」
「いーやー!落とさないで怖い馬のスピード速すぎいいいいいいいい!」
「……。」
あんまり、変化ないし、ここに居るのが佐助だったら、色気がないねえ、と言うかも知れない。
でも、自分はそんなが好きだから。
これから先がどうなろうとも、今この時間を、笑って過ごして、良いと思った。
城に着いたとき、は少々やつれていた。
政宗が肩に手を回して支えている。
「こ、怖かったし……。」
「顔が青い。案内の前に一休みしねえか?」
「いい。案内して欲しい。」
「無理すんな。」
としては、政宗の生まれ故郷を少しでも多く見ておきたいようだったが、問答無用で政宗に手を引かれる。
その対応に少々不貞腐れた様だったが、自分の腕が政宗の手にしっかり握られているのを見ると、自然と笑顔になってしまった。
廊下を歩いていくと、すれ違う人間が政宗に一礼する。
政宗はなぜか、足音を立てないように進んでいた。
「……?」
も足音を立てないように気をつけて歩くことにした。
「ここで一睡しとけ。」
「この部屋は政宗さんの?」
「俺の部屋はもっと質素だ。ここは……」
その部屋は暗く、あまり生活観を感じなかった。
しかし、所々に精錬された装飾があり、塵ひとつ無い掃除の行き届いた部屋だった。
「父上の、部屋だ。」
周囲を見渡し、嚙みしめるように優しい声で発する。
「お父様の……。」
独特の雰囲気がある部屋だと思った。
「……?」
……デジャブ?
どこかで、この空気に触れたような……?
「ま、こっそりな。ここにも、来たかったんだ。」
政宗が部屋の隅に移動した。座り込み、手招きされる。
近くに寄れば政宗は両手を広げる。躊躇いながらも正面にゆっくり座った。
「誰も来ない。大丈夫だ。」
一度ぎゅっと抱きしめられる。
そして少し離れて、身を反転させられる。
そしてまた、後ろから抱きしめられる。
「一睡……?」
「この体勢じゃ寝られないか?」
「………。」
頭がぼんやりしてくる。自分は疲れている。
いろいろ考えすぎて……いろいろ動きすぎて……
「ねむい……。」
「休め。」
「……うん。」
耳元で、くすりと笑う気配がした。
政宗にもたれ掛かると、頭を撫ででくれた。
瞼を閉じると、すぐにでも眠れそうだった。
(……真っ暗……)
真っ暗?
寝るために目を閉じて、いちいち、真っ暗だ、なんて思ったことあっただろうか?
(……でも……暗い……)
飲み込まれる気がした。
先ほどとは別世界に来たようだ。
でも、怖くは無かった。
(………る)
声?
(……梵天丸…)
優しい優しい、呼び声……
両手が伸びてくる。
何かを包もうとする大きな手。
(輝宗様?)
記憶を見ている。
幸せだった、この部屋の過去の記憶。
どうか、どうか
いつまでもこの平穏な日々が続きますように。
一日でも長く、笑い合っていられますように……
切ない気持ちが溢れてくる。
守れなかった。
憎しみが残った。
願うならばあの時……
(……あなたが……)
私を、呼んだんですね
「………っ……!」
気がついたら目を開けていた。
そうだ
こちらに来た時に、包まれた闇は、この空気だった。
何か違和感を感じたのを思い出す。
「………。」
自分で決断したものだと思っていた。
自分が、政宗のために頑張るんだと思っていた。
(必然、だった……?)
私がここに来た目的は、最初から決まっていたというのか?
「……。」
今更、後になど引けないのは判っていた。
嘆く時間は無い。
「……政宗さん。」
「……ん?」
政宗はを抱きしめながら、壁にもたれ掛かっていた。
目を閉じているので、彼も休んでいたのだろう。
「寝てた?ごめんね」
「少しな。どうしたんだ?」
「あ、呼んだだけ。」
「……なんだよ。」
ふっと笑う、二人のタイミングは同じだった。
同じ事を考えたのか、またそれに笑ってしまう。
この人が笑うと、自分も笑顔になる。
それは最初にこっちの世界に来た時だってそうだった。
この関係はずっと続いていたのだろう。
どうしてこんなに想い合える人が、運命の人じゃないんだろう。
どうしていつか別れると知っていて、それでも好きになるんだろう。
これから起こることは決まっていた事だったとしても、一度私は決めたんだ。
絶対泣かない。
「政宗様、こちらですか?」
小十郎が城に着き、慌てた口調だが囁きに近い声が聞こえて来た。
「おう、ここだ。」
政宗がそう言うと、すぐに戸が開いた。
「先にご挨拶をしませぬと……!」
「一休みしてからでもいいだろ?」
「そうはいきません!」
「私が疲れたから配慮してくれて……。」
「おまえは気にするな。」
としては、部屋でくっついている政宗と自分のことを小十郎は気にしたほうが良いのではないかと思った。
注意するのは挨拶のことだけで、変なの、と笑いたくなってしまう。
今まで起こったこと全てを理解してしまいそうになる頭を必死で押さえる。
考え始めたらパンクしてしまいそうだ。
怒られる政宗をなだめながら、片手で着物の袖をぎゅっと握り締めた。
成実が率いる事となった一団の後を、武蔵はなんとかこっそりと付いて行っていた。
こそこそせずに暴れたい衝動もあるが、ここは我慢だ。
「このおにぎり、姉ちゃん作ってくれたのかな。しょっぱいのがちょうどいい……あ、味噌!味噌はいってる!」
前日、小太郎が無言で大量におにぎりや漬物、竹筒いっぱいに入った水を、からの手紙と一緒に持ってきた。
ありがとう姉ちゃん、と叫び出そうとしたのをはっとして口を両手で塞ぐ。
「こっそり行くんだ。おれさま、にんむがあるんだからな!!」
そう口に出すと、自分が偉くなったような感覚。
へらりと笑ってしまう。
「姉ちゃんに会ったら、おれい言わなきゃ!」
そしてまた、とある村で借りた小柄な馬を走らせる。
は髪を結い、メイクをした。
政宗の世話をするに相応しい気品のあるお化粧しなきゃ……と、政宗と小十郎の居る前で呟き、楽しそうに化粧をする。
完全に判らないように変装出来る自信はない。
義姫に会うようなことがあれば、小太郎に何か術を使って自分を気づかせない様にしてくれとは頼んである。
「、そんな気張らなくていいからな。」
政宗は障子にもたれ掛かって庭を見ていたが、こちらを振り返り、早く済ませろといった顔をする。
「政宗様は、はそのままでも十分映える顔をしている、と言っているんだぞ。」
「余計な事いってんな!」
小十郎がそう言って笑い、政宗が手元にあった本を投げた。
そのやりとりを終えると、小十郎は優しく笑い、では半刻後に、と言ってその場を去った。
「ねえ、政宗さん、小十郎さんに何か言った?」
「NO」
「なんか、なんか小十郎さん……なんか……」
ごにょごにょと呟き始めるの言いたい事は嫌でも伝わっている。
「……気付いてんのか?俺らのこと……」
その言葉に、は振り向いて政宗に向かって身を乗り出した。
「普通にしてたよー!!いつも通りにしてたよー!!」
「俺だって気遣ってたってーの!!」
二人の関係が変化した、なにか雰囲気が出ていたのだろうか?
顔を見合わせると、自然と脈が上がってしまった。
「まあ、小十郎なら、いいよな。」
「い、いいんじゃないでしょうか?」
は鏡に向き直り、化粧の続きを始め、政宗は義姫への贈り物の確認をし始めた。
互いに瞬きが多くなり、集中力が散漫になりそうになるのを必至にこらえるのを気付かれないようにしている姿は、傍から見れば不自然極まりなく笑いを誘うものだった。
政宗もずっと暇をしているわけにはいかない。
と忙しく庭を回った後、挨拶へ向かう。
「終わったら戻る。俺が茶を立ててやるよ。」
その言葉に、ありがとうございます、いってらっしゃいと言うと、ぽんぽんと頭を撫でられる。
後ろ姿を見送った後で呟く。
「お手伝いさんは、あまり一緒に居られないようで……。」
天井から小太郎がぶら下がり、こくりと頷いた。
「毒物は?」
またこくりと頷く。
「そっか。」
今まで散々泣いたからか、いざこの事態になると冷静になってくる。
じゃあ、計画を進めるまで、と歩き出す。
「私は弱いけど、心は、少しはみんなに近づけてるんだといいな……。」
そう言って浮かべた笑顔は、今までのどんなの泣き顔よりも、悲しい表情に小太郎には見えた。
「……………。」
小太郎もの隣に並び、一緒に歩き出す。
そして前に屈み、大袈裟にの顔を覗く。
「何?」
「……。」
「あんまり出歩くなって?」
「……。」
こくりと、頷く。
「うん。政宗さんのお部屋なら誰も来ないかな?じゃあそこで大人しくしてるよ。」
「……。」
その言葉に安心したように、小太郎は笑顔になった。
そして消えてしまう。
「ちょっといろいろ見て回りたかったけどなあ……。まあ、小太郎ちゃんが心配してくれてるの裏切るわけにもいかないか……。」
その呟きを小太郎が聞く事は無かった。
の性格を知っていたから、を大人しくさせるのはそれで十分なのだと知っていた。
下手に強く言えば、自分は小太郎ちゃんに信用されてないのかな……と落ち込んで、本人も気付かぬうちにふらふらするに決まってる。
は弱いから。
俺が、弱いんだと思いたいだけなのかもしれない。
の弱さを補うのは自分の役目。
そう思ったところで、のことを考えるのをやめる。
小太郎を囲むのは高い木立。その中でも一番太い木の枝に立ち、空を仰ぐ。
「……。」
ち、と小さく舌打ちをする。
正直、今はと離れたくは無いが仕方が無い。
小太郎は急ぎ港を目指した。
挨拶を終えて戻った政宗は、少し緊張していたようだった。
に無理やり張り付けたような笑顔を向ける。
約束通りお茶を立てる政宗は、のためというより自分の精神を落ち着かせるためのものようにには映った。
口に含んだお茶は苦かったように思えるが、一気に飲み込んでしまった。
それにより、も緊張し、喉の乾きに気づいてなかったことを知る。
「は夕食はどうする?」
「ここで余り物でもいただくよ。」
「そういうわけにもいかねぇだろ。本当なら成実に一緒にいてもらおうかとも思ったんだが、あいつも参加したいって言い出すし。」
「えっと?」
あまり事情を知らないので、首をかしげながら説明を求める。
「ちょっと前まで絶対行かないって言ってたのに急に心変わりだ。懐かしいから行きたいとかいってたが……。」
政宗の表情から汲み取れる感情は、戸惑いだった。
「成実さんの素直な気持ちには見えなかったの?」
成実が何か行動を起こすのではないか、その前触れではないかと、僅かに疑惑を持ってしまっているのかもしれない。
政宗は苦笑いした。
「いや、別に違和感はなかったが、遠くの土地の守りにつきたいとか言い出すんじゃねぇかってよ。その前に故郷を見ておきたかったみてぇな……。そういう奴はたまにいる。」
「うーん、深読みしすぎ、の気がするけど……。」
もっと真剣に一緒に考えるべきかと思ったが、答えは本人しか知らないだろうと思う。
政宗はその言葉が欲しかったようで、柔らかく笑った。
「だよなぁ。俺も自分で言っといてあれだが、考えすぎと思った。」
「もっと単純に、町で遊ぶ子供を見てたら懐かしくなって行きたくなったとか……有り得ません?」
「あいつ気まぐれなとこあるからな。」
今頃、やっぱ帰りたい~とか言ってそうだ、と二人で笑い合う。
そして政宗の手がの頬に触れたとき、この会話は終わりだと告げる。
「。」
「は、はい?」
政宗の優しく細められる目にまだ慣れていない。
返事は情けなくも上ずっていた。
「来い。」
「えっあっあの、は、はい……。」
一気に心拍数がはね上がり、真正面に近づくのは躊躇われ、隣に並ぶ。
肩に腕を回され、引き寄せられる。
「いつまで照れんだよ。」
「だ、だって……。政宗さんは恥ずかしくならない?」
「You're so cute when you're embarrassed……」
「!」
急に英語やめろと思いつつ顔を赤くしてしまう。
もっと淡泊な人かと思っていたのに、甘ったるい。
顎に手を添えられ、政宗が屈む。
「……!」
頬に政宗の唇が当たり、ちゅ、と音が立てられる。
終わりかな、と目を開けると、今度は唇に寄せられて、慌てて目を閉じる。
優しく合わせた後、一度離しての髪を撫でる。
「政宗さん……!」
首筋に、鎖骨に口づけされ、は声が漏れそうになるのを耐えた。
受け止めてあげたい。でも、無理だ、と考えてしまい、政宗を押し返してしまう。
「……可愛い。」
「……!」
恥ずかしさと捉えられてしまった。続きが始まったらどうしよう、と思っていると、政宗は満足そうな顔をして離れた。
「普通、だよな?俺。」
「え?」
「恋人みてえなこと、出来てるよな?」
「……うん。」
「になら、出来るんだよ。俺は。」
どうだ、と胸を張るような仕草をした政宗に、は目を丸くしたあと、笑ってしまった。
「え、なにそれ、実験だった?」
「実験じゃねえよ。愛情表現だよ。」
「ん。」
は政宗の肩に手を置いて、耳元に唇を寄せた。
「……気持ちよかった。」
「……!」
「はい政宗さん顔真っ赤~!かわいい!」
「おま……!」
からかうんじゃねえ!と叫ぶ政宗から逃げるようには離れる。
あはは、と笑って、部屋を一周おいかけっこしたあとで政宗に抱きしめられて捕まった。
あーあ、浮かれてるなあ、私、と思いながら、政宗を抱きしめ返す。
「……会食、緊張する?」
「少しな。」
「頑張って。」
私も頑張るから、と心の中で呟いた。
しんとした部屋で、は着替える。
何度も何度も深呼吸をした。
「小太郎ちゃん?」
先ほどから何度か呼んでいるのだが、現れないので不安を覚える。
だが、今回は天井裏から降りてくる気配があった。
「え、どうしたの?」
そう声を掛けたのは、小太郎がゼハゼハと息を荒くしていたからだった。
「何かあった?」
首を振り、くるくると指を回す仕草をした。
「見回りしてきたの?」
こくりと頷く。
その直後、すぐに息を整えて涼しい顔をするものだから、はそれ以上は聞かなかった。
「このような場を設けて頂き、感謝申し上げます。」
政宗は深々と頭を下げた。
「よい、よい、久しぶりではないか。堅苦しいことは無しじゃ。」
「はい。」
控える小十郎と成実は緊張した面持ちでいる。
しかし二人の緊張の種類は違っていた。
しばしの談笑の後、義姫が政宗に向けていた視線を外す。
そして、視線を受けた家臣が合図をすると、女中が現れ膳が運ばれてきた。
「腹が減ったであろう。口に合えば良いが。」
「母上が私のためにご用意して下さったとお聞きしました。口に合わないはずが御座いません。」
そんなやりとりをしていたとき、外からかすかに声が聞こえた。
それは徐々に近づき、叫び声に変わる。
「やい!ここに鬼がいんだろ!鬼姫!勝負しろおぉぉぉ!女だからって手加減しねえぞおおおお!!」
政宗をはじめ、その場にいた全員が予想外の人物の登場にギョッとする。
「何奴?無礼な。警備はどうしている?」
「母上、ここは俺にお任せください。」
政宗がすぐに立ち上がる。
「わざわざ、お前が行く必要が?」
「俺が瞬殺致しましょう。何も知らぬ者が母上をあのように呼んだ挙句、挑もうとしているなど、俺が許しませぬ。」
「お前がそう申すならば、余興とするか。あのような者の相手、すぐ戻れぬような人間は筆頭などと呼ばれまい。」
「もちろんでございます。」
部屋を出る政宗を止める者はいない。
来いと呼んだ部下に小十郎は入っていなかった。
「政宗様……。」
「悪い、小十郎、しばし頼む。」
おそらく政宗は、武蔵と話をつけ、逃がす。
首はと問われれば、価値が無くて捨ててきたとでも言うのだろう。
家臣が独断でそれをすれば政宗の管理不足。
政宗がすれば、許される。
しかし相手は武蔵。
腕が立つ上、子供で猪突猛進。
すぐに武装し、武蔵がいる場所を特定せよと命ずる。
「っつーかマジめんどくせえ!なんで今、ここなんだよっ!」
なるべく屋敷から遠くが良い。
誰が見ているか判らないから、戦いながら、接近したところで話すしかない。
武蔵に絶命する演技をしてもらいたい。
「俺の専門外じゃねぇか。出来る気がしねぇ。」
武蔵を操れるのはくらいだが、連れていくわけにもいかない。
やるしかない、最悪、気絶させるしかない。
政宗が出ていくのを、天井裏から見送る。
小太郎と顔を見合わせ、こくりと頷く。
そして移動し、ある部屋に降り立つと、書物を読んでいた部屋の主は目を見開いた。
「小次郎様。」
「なんで、君がここに?」
「あのときのお礼を。私を逃して下さり、ありがとうございます。」
「また君がこの地を踏むとは思わなかった!危険じゃないか……!その忍が守ってくれるから大丈夫、ですか?確かに、腕が立つようですが……。」
「はい、彼がいるから私は大丈夫。小次郎様に、もう一度お礼を言いたかっただけです。」
「それだけ、ですか?本当に?母上に復讐とか、考えていませんか?」
その言葉に、は優しく笑った。
「小次郎様。」
「なにか?」
「あなたはそう、考えていて下さい。お願いします。」
跪いて、頭を下げる。
そしてすぐに消えてしまう。
「っ…!」
尋常ではない空気に、小次郎は立ち上がる。
すぐに部屋を出て母の元へ行こうとするが、引き返し、襖を開け、家臣を呼ぶ。
(何もないかもしれないんだ、その時寝間着でどうする。正装をして、やはり俺も参加させてくれと言って誤魔化すしかないだろうっ!)
「でも……!」
ギリッと歯を食い縛る。
自分がこう考えて足止めをくらうことが、彼女に読まれている気がしてならない。
信玄公にひたすら頭を下げて、許しを貰った。
人気のない道をひたすら馬が駆ける。
「うおおおおおおおお!!急げ急げえええええええ‼」
「旦那ぁー!ちょっと待ってよー!」
何を言うか!と横の佐助に向かって勢いよく振り向く。
「間に合わなかったら、もうと会えぬかもしれん!」
「判ってる判ってる、でももうちょっと警戒しよう!?」
「案ずるな!している!」
幸村の言う警戒は、周囲への警戒だ。
他国の兵に見つかって、余計な争いを行うことを避けるのは当然。
佐助の思う所は違う。
「早すぎるんだよ……!」
ぼそっと呟く。
「情報が、早過ぎる……。誰かが俺達に漏らしてるんでしょーが!!」
まあ、その辺は俺様が何とかしましょーか……と溜息をついた。