伊達軍居候編 09話
甲斐に着いた頃はさすがに尻と腰が痛い。
馬から降りると歩行が不安定になり、それを見た政宗に笑われてしまった。
「ha!ひ弱だな!さすってやろうか?」
「訴えるぞゴルァ!」
腰を自分でさすりながら、幸村と佐助の後を歩く。
これから武田信玄に挨拶をするため、屋敷の中を進んでいた。
「……政宗さん、緊張しません?」
「何で俺が緊張しなきゃならねんだ。」
少し大股で歩き、政宗の横に並び小声で聞くが、すぐにそう返されてしまった。
「うう……。」
同意を得られなかったため、スピードを緩め、また政宗の後ろに位置して歩く。
「一般的には緊張するのが普通だぞ。」
「小十郎さん‼そうですよね……!!」
小十郎が優しい言葉をかけてくれたと思い、少し落ち着きを取り戻す。
しかし、よくその言葉を考えると
「……あれ、でもその“一般”に入るのって、今私しかいませんね……。」
「そうだな。俺も緊張していない。」
「こ……小十郎さん……。」
自分だけあたふたするような予感がして、がっくり肩を落とした。
小十郎がはは、と笑ってポンと背中に手を置いてくれた。
長く連なる襖の前で幸村が止まる。
「お館様ぁ!真田幸村、ただいま戻りました!」
幸村の顔がとても嬉しそうになる。
よほど信玄に会えるのが嬉しいのだなと感じる。
「うむ、入るが良い!」
低音の、威厳ある声が響く。
「はっ!」
凛々しい声で返事をすると、幸村の表情が引き締まった。
もきゅっと口を引き締め、真面目な顔になる。
襖を開け、幸村、政宗、小十郎、の順で中に入る。
「……あれ?」
佐助の姿が急に見えなくなり、は周囲を見渡す。
「きょろきょろしてんな。」
政宗に襟を捕まれ引っ張られる。
「は、はい。」
正面に堂々とあぐらをかいて座る人物に向き直る。
穏やかな表情を浮かべてはいるが、威圧感を感じて仕方がない。
政宗がどかっとあぐらをかいて座ったので、も僅かに後方にずれて座る。
いや、もちろん正座で。
「この度の協力に感謝する。ご丁寧に招いて頂けるとは思わなかったが。」
一礼し、政宗がそう一言発した。
「なぁに、気にすることはない。ほう、その娘が……。」
そう言って信玄がこちらに視線を向ける。
もっと長い挨拶をするのだろうと思っていたはあまりに早々に自分の出る場面が来て動揺しきっていた。
「お、お初にお目にかかります?えと、私、と申しまして……」
……えっと
……ええええっとねぇ?
つんつんつんつんと政宗の背中を必死で突っつく。
「こ、この先はどうすれば!?」
小声で必死に回答を求めた。
ここに来る前に段取りを聞いておけばよかったと思い切り後悔した。
「殿、落ち着いて下され。」
「あ、はははははい……。」
幸村にそう言われるが、無理なようだ。
「安心せい。すべては佐助から聞いておるわ!」
「そ、そうなのですか!?いつの間に!?」
どうしたらいいか慌ててしまい失礼極まりない態度を取っているにも関わらず、信玄は気にした様子もなく話をしてくれた。
「佐助は仕事が速いでござるよ!」
自分のことのように誇らしげにする幸村が可愛らしいと感じる余裕はあるらしい。
「だそうだ。説明はいらねぇみたいだな。……信玄公、北条の動きをどう見る?」
「うむ、監視は続けておる。目立った変化は無いがの……こちらとしても野放しにしてはおれんかもしれぬな。」
「同盟相手だからって甘く見てんなよ。攻める余裕がある今だろうが。越後が大人しくしてるうちにケリつけろよ。」
「せっ……攻める?」
氏政を殺すのかと思い、強張った声が出てしまった。
「……もし氏政があんたを元の世界に戻せるなら、明日しくじるなよ。駄目だったらまたの機会に、とか考えんな。」
「……はい。」
正直、自信はなかった。
しかし、そう言うしかなかった。
「……はぁ」
縁側に座り込んで空を眺める。
今日は曇り空で星は見えない。
政宗と小十郎は割り当てられた部屋で話し合いをしている。
……小田原攻めの。
明日の状況にもよるらしいが……ほぼ決定だろう。
「何悩んでんの?」
屋根から佐助がひょっこり顔を出した。
「どこ行ってたの?」
「俺様も忙しいの!」
飛び降りて、くるりと一回転して着地をして、の横に座る。
「……佐助さん。」
「ん?」
佐助がの表情を覗き込む。
浮かない表情を隠す必要もないと感じて、うつむいたままでいた。
「明日、うまくいくかなぁ。」
「ちゃん次第だね。」
「そうなんだよね。」
プレッシャーを感じる。氏政は自分のことを知らないはずだ。
けれど、皆が用意してくれた機会を無駄にしてはいけない。
自分が戻れなかったら戻れなかったで、彼らに大損害など出ないことは分かってはいるが。
「……ちゃんて駆け引きとか苦手そうだよね。」
「……ご名答。」
むしろやったことがないのだ。
「じゃあ全力でぶつかる?」
「それしかできない……。」
「それがいいと思うよ。」
佐助さんの手が頬に当てられる。
ひどく冷たい。
「自信持ちなさい。俺様も近くに控えてるだろうし。」
「あ……ありがとう。」
優しくにっこり笑われて、
一瞬、佐助に母性が見えたというのは、自分の心の中だけにしまっておこうと思った。
体冷やしちゃうから中に入ろうと言われ、佐助の後についていく。
「大将のとこにでもいくかい?」
「えっ、いや、そんな、図々しくない?」
「大丈夫だって、それに多分……。」
お館さむぁぁぁあああ!!
幸村ぁぁぁぁ!!
突如大きな声が響いてきた。
「何事!?」
「あぁ、やっぱり始まったねぇ。」
大広間に来ると、叫びあって格闘する幸村と信玄がいた。
「ん?いつもより気合い入ってるねぇ。」
そしてひたすら幸村が吹っ飛んでいた。
「まだまだあ!」
「うむ!気が済むまで来るがよい!」
「な、なにこれ……。」
「武田の日常だよ。」
「まじですか……。」
幸村が殴られる瞬間は、どうしても手で目を覆ってしまう。
痛いだろうに、どうしてこういうことをするのか、格闘技にあまり興味のないには分からない。
「申し訳ありませぬ!この幸村の煩悩が消えるまでお付き合い下されぇぇぇ!!」
「え?幸村さんは熱心な仏教徒?煩悩って…」
「あぁ、そういうこと。」
佐助がの背を押す。
「旦那~!ちゃんが見てるよ!かっこいいとこ見せなきゃ~」
「え?あ、幸村さん頑張れ~!」
幸村の動きが止まって、信玄の拳が顔面に当たる。
「ぎゃー!!幸村さん―!」
とってもヤな音聞こえた気がする。
「幸村ぁ!まだまだ修行が足りん!からもきつく言ってやるが良い!」
「遠慮します!幸村さん大丈夫!?」
急いで駆け寄ると、幸村は倒れたままで目をぱちくりしている。
わずかだが鼻血が出ている。
ハンカチを出して拭いてあげると、たちまち顔が赤くなった。
「幸村さ……」
がばっと体を起こして周囲をきょろきょろ見渡す。
視界が佐助を捉えたところで声を発した。
「佐助ぇ!いつから見ていた!?」
「え?いや、今来たばっかり。」
「殿も……?」
「え?うん、今来たばっかり。」
良かったでござると表情を緩める。
が
「幸村ぁ!を気に入り、離れるのが寂しいのは判ったが、男なら潔く」
「お館さむぁああああああ!!そのようなことは言ってござらぬうううううう!!!!!!!!!」
「声でけぇぇぇ!!」
信玄と幸村の殴り合いが終わってからは信玄に未来はどういうところかと質問され、興味ありそうな政治について判る範囲で話していた。
佐助はまだ仕事があると出て行き、信玄は寝床につくというので、幸村の部屋にお邪魔してお茶を飲んでくつろいでいた。
部屋に戻るのは、まだ戦の話をしていそうなので嫌だった。
「恥ずかしいところを見せてしまいましたな……。」
「んーん。かっこ良かったよ。」
「殿の住む未来は平和なのだな……。」
「ん~、世界を見れば戦争や紛争はあるけどね。犯罪だってあるし、いろんな問題があるけどね……。」
「それでも殿は幸せそうでござる。」
「え?本当?能天気じゃなくて?」
「そうとも言うかもしれぬな!」
「ゆ…幸村さん……言うじゃないか‼」
楽しそうに笑いながらそう言われては、悪い気はしないのだが。
「幸村さんだって幸せそうだよ。」
「うむ、某は幸せでござる。お館様に仕えることが出来て……。」
幸村が天井を見上げる。
少し沈黙の時間が流れる。
「明日、無事帰れると良いでござるな」
「うん。」
「短い間でございましたが、このような出会いがあるなど想像できませんでした。この真田幸村、殿のこと忘れぬでござる。」
「ありがとう!私も幸村さんのこと忘れないよ!…って言っといて帰れなかったら笑えるな……。」
「暗くなってはいけませぬ!」
「お、おお!」
「それに、今日はもう寝た方が良いでござる。」
「うん、明日はよろしくお願いします。おやすみなさい。」
「うむ!おやすみなさいませ!」
とてもゆっくり過ごしてしまったので、さすがに政宗たちの話し合いももう終わっただろう。
幸村にお礼を言い、立ち上がった。
襖が閉まり、が去っていった。
「だーんな―。」
カタリと天井の板が外される。
「佐助。」
「居るの知ってたでしょう?」
「うむ……。」
スタッっと畳の上に佐助が降り立つ。
「こんな時間に女の子とふたりきりなんて破廉恥~じゃないの?」
にやにやしながら腕を組む佐助に、幸村はあぐらをかきながら口をとがらせて答える。
「いや何と言うか…殿は自然体すぎて不思議な感覚になっていた。」
「ああなんか分かるな…。」
「未来の話など無関心の方が難しかろう。もっと話したくなってしまうが、負担になってもな。」
「明日、どうなるかねえ?」
「きっと、大丈夫。何かは動く。」
「そうだねえ……。」
暗い気持ちでいてもしょうがないな、と、幸村と話していて思った。
明るく振舞おうと気合を入れ、ばん!と襖をあける。
「政宗さん!小十郎さん!お話おわった!?」
「どこ行ってたんだよ。とっくに終わってるぜ。早く寝るぞ。」
「あのう…」
一つの部屋に布団がみっつ。
両サイドの布団には政宗と小十郎が座っていて
幸村さんはさっきの部屋で
佐助さんは天井裏あたりで
「真ん中に信玄様でも来るの?」
「……やだよ、むさ苦しい。」
「、ここは嫌か?」
小十郎が中央の布団をぽんぽんと叩く。
……ということは……
「私、そこ?」
「ばらばらで寝るのはちと不安だからな。信玄公とはいえ、敵地だし、家臣が勝手な行動する可能性だってあるんだ。」
政宗さんと小十郎さんはやられることはないと思うんだが……
……私のために?
「嬉しい!小十郎父さんと政宗母さんだ!」
「なんで俺が母親だ!?」
「…体格でしょうか?」
川の字で寝るとは照れくさいが、心配してくれるのが嬉しい。
真ん中の布団にさっそく横になり、まだ布団の上であぐらをしている二人におやすみなさいと声をかけた。
異変が起きたのは、深夜だった。
「政宗さん…。痛い……。」
「、我慢してくれ……政宗様は、稀にそうなるんだ。」
「で、でも、小十郎さ……ひゃっ‼」
がびくっと一瞬、体を震わせる。
「政宗さん!お願いだから眠らせて……!」
「仕方ない。、俺が代わろう。」
「そ……そんな……。でもそしたら小十郎さんが……。」
元凶となっている政宗はというと
「……すぅすぅ。」
爆睡していた。
「……いっ……てぇってば!もー!何でこんなに寝相悪いの!?」
「!!政宗様が起きる!」
先ほどからずっとげしげしと蹴られていた。
何度か小十郎と協力して、起こさないように体勢を戻して布団をかけるが、引っぺがして横のに向けて脚を投げ出す。
「ちょ…あの、顔の方近づけられてドキ!!とか無いんですか!?」
「政宗様にそのようなことを期待するのか?」
「無理そうですかね!?」
日の光が部屋に差し込み、外からコケーっと鶏の鳴き声が聞こえる。
「……。」
「おふぁようございまふ……ましゃむねさん……。」
「政宗様、おはようございます……。」
と小十郎がげっそりしている。
「…おい、寝てねぇのかおまえ等。」
「寝ましたよ?…少しは。」
何かあったのか?といったように問いかけるが返答はそれだけで、小十郎が視線を合わせない。
は黙って背を向けたままだ。
まさか
……まさか
「小十郎!!まさかお前ら俺が寝た後で」
「…なんでしょうか?」
ゆらりとが歪んだ笑顔で振り返る。
背後に修羅が見えた。
「…何でもねぇ。」
小十郎に何事か聞いた後、
悪かった、と、大人しく二人に謝罪した。